ビジネスマンのストレス解放 群馬・嬬恋村の魅力を追う

3月28日8時16分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 ■癒やされる温泉力/“愛妻家の聖地”

 群馬県嬬恋村は県西北部に位置する高原の村。村の観光の代表格万座温泉は軽井沢の奥座敷と呼ばれ、高地温泉として知られる。豊富で良質な酸性硫黄泉はストレス社会に身をさらされているビジネスマンにも癒やし効果抜群の温泉場となっている。心身を慢性過労状態から解放する温泉力とともに、高原に広大なキャベツ畑を持つ村には「日本愛妻家協会総本部」が置かれ、「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」(通称キャベチュー)イベントに注目が集まっている。嬬恋村村議会議員でもあり、万座温泉観光協会副会長の大野克美氏に聞いた。

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 ■星に一番近い万座温泉 無料送迎バスで格安の旅

 ■9月にイベント「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」

 万座温泉は星に一番近い温泉地として露天風呂から眺める星空は絶景といわれる。未曽有の大不況の中、今や『安くて良い』は当たり前。東京と埼玉から出るホテル専用無料バス便を設け、平日は1泊2食付き9800円から超格安旅が楽しめる。

 嬬恋村の農業の中心は一面に広がるキャベツ畑。夏秋キャベツの生産量は日本一。「キャベツ畑を初めて見た観光客は『わあ~、北海道に来たみたい!』と感嘆の声を上げる」と大野氏。吾妻郡の嬬恋村はヤマトタケルノミコトが亡き妻を追慕して「ああ、わが妻よ、妻恋し」と嘆き、妻をいとおしんだ地という故事にちなむ伝説を持っている。

 村名の由来から村では“愛妻家の聖地”として、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(セカチュー)になぞらえ、嬬恋名物のキャベツ畑の中心に“お叫び台”を設置、“キャベチュー”が行われている。“キャベチュー”のメッカとして全国から妻や恋人に愛の宣誓をしたい人たちが訪れ、結婚するカップルやビジネスマンのほかにも、定年を迎え妻にざんげと感謝をする男性が増えているという。

 ほかにも愛妻家への道標を掲げ、愛妻家協会の「サスティナブルな夫婦環境を保全するワイフコンシャスなライフスタイル」運動は、遊び心を通して参加者に持続可能な夫婦環境問題を自覚してほしいというもくろみもある。今年9月13日には恒例となった「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」を実施し、12日は前夜祭が行われる

 「日本の中には愛を伝えるという文化が希薄で、嬬恋村を愛妻家の聖地と位置付け、夫婦やカップルが愛を口に出して伝えることを『嬬恋聖地委員会』と『愛妻家協会』が応援することで、観光客誘致とともに、人間関係を紡ぎ直す現代の社会運動としての成果にもつながればと思います。夫婦が仲良くなると親子を含め家族全体が仲良くなり、それが世界の平和への道となる。それは社会教育問題への取り組みにも進展すると思っています。そのためにも各方面に働きかけています」と大野氏。

 嬬恋村では9月に「日本全国愛妻家会議」が、来年は「世界愛妻家会議」も予定されている。

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 ■万座温泉ホテル「日進館」社長 嬬恋村村議会議員 大野克美氏

 ■斬新なホテル経営で手腕 活躍と対話の場、世界へ

 1947年埼玉県生まれ。万座温泉ホテル「日進館」代表取締役社長、嬬恋村村議会議員(4期目)、(財)東南アジア友好協会理事長の3つの代表的顔を持つ。

 法政大学学生のころ、従軍牧師として働いていた恩師、加藤亮一師の導きにより師の説く戦争責任としての「つぐないのわざ」に共鳴、20代は東南アジアの子供たちのボランティア活動に邁進(まいしん)。そのときに受けた師の教えが今も思想や経営の礎になっている。学生のころ知り合った親友が旅館の息子だったことから万座温泉に入り、ボランティア活動からホテル支配人になったのが25歳のとき。評判の「美人女将」は義理の妹さんである。

 時流に即した斬新なホテル経営で「日進館」を日本の名門ホテルに育て、「温泉は天からの授かりものであり預かりもの」との考えのもと、「温泉文化を世界へ。メイクピース・フェローシップをメイクピース風呂シップへ」と温泉を媒介に世界平和貢献へと視座を持つ。「日本愛妻家協会」の聖地として嬬恋村をアピールし、社会文化活動を通しアイデアを発信し続けている。活躍と対話の場は村内にとどまらず世界へ広がっている。

日本の混浴文化に興味津々、中国人観光客―中国メディア

3月21日13時15分配信 Record China

2009年3月20日、南方網は「日本の混浴の歴史とその復興」を掲載した。観光振興に力を入れている日本は中国からの観光客誘致にも熱心だが、中国人が最も関心を持っているのは芸者と混浴だという。

1879年、清末の新聞記者・王稲(ワン・ダオ)は日本を訪問、混浴に関する記述を残している。王稲からさかのぼること26年、米国のペリー提督も日本の公衆浴場が混浴であるとの記述を残しており、通俗文学の卑わいな挿絵とともに日本人がみだらであることの証左としている。ただしプロイセンの外交官であるフリードリヒ・アルブレヒト・オイレンブルク伯爵は「老若男女が一つの風呂に入っても何の問題も発生しない。いや、入浴している者はほかの人の性別に注意すらしていないようだ」とも書き残している。

こうした日本の混浴の伝統は次第に失われていった。しかし現在では復興の気運が高まっているようだ。青森市のある温泉では「混浴を守る会」が結成され、入浴する者に女性客をじろじろ見ないようにするなどのマナーを訴えている。なかには温泉にもぐるようにして女性の入浴を待つ、通称「ワニ男」もいるのだとか。

こうした日本独特の混浴文化に中国人旅行客は強い関心を持っている。ツアー旅行に参加したある中国人男性はガイドに「ぜひ混浴温泉に行ってみたい」と訴えたという。ガイドはこれに「ではこのツアーの皆さんも男女一緒にお風呂に入ることになりますよ」と笑って答えたのだとか。(翻訳・編集/KT)

豪州のTV局を県観光協など招く 県内名所巡り撮影

3月16日12時35分配信 中日新聞

 オーストラリアの民放テレビ局のスタッフが15日、県内の観光名所などを巡って同国内で放送する旅行番組の撮影を行った。日本政府観光局(JNTO)や県観光協会などが、オーストラリアからの誘客を狙って招いた。
 一行は番組プロデューサーやカメラマンなど5人。14日に来日し、この日は塩尻市木曽平沢の木曽漆器工房で伝統の木曽漆器作りを撮影したほか、奈良井宿で五平もちやそばを堪能した。この後、松本市の国宝松本城へ移動。城内で甲冑(かっちゅう)や戦国時代の火縄銃などを熱心に撮影してた。
 16日からは白馬村スキー場や地獄谷温泉、善光寺などで撮影する予定で19日に帰国する。番組は今秋、放送される。
 県観光協会の担当者は「円高や経済不況などで観光業界の先行きが危ぶまれるなか、メディアを通じて長野県を魅力的に取り上げてもらい、少しでも観光客の増加につながれば」と期待していた。
 (宿谷紀子)

関の上之保温泉、来場100万人 牧戸さんに特産品

3月16日12時29分配信 中日新聞

 2001年に開館した関市上之保の「上之保温泉ほほえみの湯」で15日、来場者が100万人に達した。
 100万人目は、愛知県江南市の牧戸義明さん(73)、昌子さん(62)夫妻。式典で2人は前後の来場者や尾藤義昭市長らとくす玉を割り、認定書や包丁などの特産品が贈られた。
 義明さんは「この温泉には何度も来ているけれど、100万人目と聞いて本当にびっくりした」と話していた。
 同温泉は16日から、感謝イベントを開く。日程は▽16日 花や果物などの販売▽17日 食堂の500円バイキング▽19日 地元産野菜の朝市や野菜鍋の提供▽20、21日 氷見市漁港祭り。
 (柴田久美子)

赤城山ろくでウオーク・ラン・サイクリングイベント「前橋 Walk Run Run」

3月16日8時45分配信 高崎前橋経済新聞

 前橋市は3月28日~6月14日の日程で、昨年までバラバラに開催されていたイベントを集め、赤城山ろくを舞台に展開する。

 「前橋 Walk Run Run(ウオークランラン)キャンペーン2009」と名付けられた同イベントは、今まで時期や趣向がバラバラだったイベントの開催時期を約2カ月半の期間に集約し、認知度を高め集客力アップを目的にしたもの。4月1日に前橋市が中核市になること、5月5日の富士見村合併をひとつの契機ととらえ、初開催にこぎ着けた。

 富士見村までに広がる前橋市では、春から初夏にかけてミズバショウ、サクラ、シバザクラ、ツツジ、フジなどの花々が次々見ごろを迎える。折しも3月11日には、気象庁が前橋市のソメイヨシノの開花予想日を今月28日と発表。同イベント開始日と重なる。

 同28日にはJR前橋駅から前橋市内を巡る約6キロのハイク「駅からハイキング-春待ち桜おぼろ月夜にそぞろ歩き」、4月5日には「上毛電気鉄道-歩け歩け」、同26日には「第10回前橋シティマラソン」と、花々の開花を追うようにイベントが開催される。

 「前橋シティマラソン」、「第3回赤城山トレイルランニングレース」(5月24日)では、市内のビジネスホテル・赤城温泉郷のホテル15館がそろって、県外からの参加者向けの「ランナーのためのRun Run宿泊パック」を提供する。

 期間中に開催されるイベントすべてに参加ポイント(単位=ポイントーロ)を設定し、ポイントーロ数によって温泉宿泊券、群馬県産豚肉加工品、地酒などが当たる企画も用意した。

今冬は記録的暖冬少雪 長野

3月16日7時57分配信 産経新聞

 長野県内の今冬(12~2月)の天候は、主要5地点の平均気温が平年を1.8度も上回り降雪量、最深積雪も少なく、記録的な暖冬少雪となったことが、長野地方気象台のまとめで分かった。

 この期間は、強い寒気の南下が少なく冬型の気圧配置も長続きしなかったため。最深積雪は、豪雪地帯の野沢温泉で93センチ(平年221センチ)▽小谷64センチ(同160センチ)▽菅平79センチ(同97センチ)▽長野15センチ(同29センチ)-などとなっている。

箱根湯本駅が新装開業…箱根の玄関

3月16日2時11分配信 レスポンス

神奈川県の箱根登山鉄道(小田急グループ)は14日、観光地箱根の玄関口となる箱根湯本駅を新装開業した。箱根登山鉄道と神奈川県、箱根町の3者が一体になり、駅舎およびその周辺部の改良工事を進めていたもの。

従来の駅舎が老朽化し、その一方箱根を訪れる観光客も高齢化が進み、駅舎利用やバスやタクシーへの乗り換えなど、駅内外の利便性や改善の必要性が求められてきた。駅横を走る国道1号線の渋滞緩和や歩行者の安全のために、あわせて誰にでも使いやすい駅を目指し、ユニバーサルデザインに配慮した公共交通施設として新装開業した。着工は2007年7月、工事費は約19億円(着工時予定)。

新駅舎は3階建て。延べ床面積は約2300平方m。建築面積は敷地面積が限られた場所にて旧駅舎をやや上回るのみとのことだが、3階建てになった分の機能面充実が利用者、運営側の双方でメリットになっている。

駅舎の1階部分にタクシーやバスの乗り場を取り込んだため、駅舎の出入りは外からもホームからもいったん2階に上がることになるが、上下のエスカレーターやエレベーターが整う。もともと線路は駅前広場や国道よりやや高い位置にあった。

2階は駅の機能が揃う。天井の高いコンコースがあり、改札口につながる。券売機をはじめとする駅務室とともに、箱根町の観光案内所、バスや旅行全般の案内所が並ぶ。さらにお土産店、カフェなど、乗車時間待ちや買物もできる。将来は、ペデストリアンデッキ(歩道橋)と接続し、バスへの乗り換えや周辺地区への移動がスムーズになる。

3階は事務所となる。1階はタクシーやバスの乗り場として現在も工事が進行中。

新駅舎には箱根登山鉄道の施設デザインが施され、同鉄道のイメージカラーであるベージュを壁や随所に配色。落ち着いた雰囲気の駅舎を表現している。さらに案内や表示板も大きくするなど、見やすいものになっている。これも箱根を利用しやすくするためのガイドやバリアフリーを考慮した結果でもある。

開業式典に出席した関係者からの期待は大きく、地元の山口昇士箱根町町長は「川をはさんで町役場の向かい側にあるのが箱根湯本の駅。箱根の玄関口でありシンボルとなってきた箱根湯本駅の新装は、観光客のみならず町民にとっても利用促進となり、たいへんありがたい。昨年末からの景気後退で旅行者の減少が心配だが、駅の新装を起爆剤にした町内の活性化と利用しやすい観光地を目指していきたい」とエールを送る。

さらにホテル業界にとっても宿泊客の獲得は必死。箱根ホテル小涌園の山下信典総支配人は「景気の落ち込みに伴う宿泊客の減少は避けられないが、箱根湯本駅の新装開業により、子供から高齢者まで誰もが利用しやすい設備が整ったので、弊館の宿泊や温泉のテーマパークである“箱根ユネッサン”の増客にも努めたい」と期待する。

新装初日の14日はダイヤ改正初日と週末ということもあり、駅員はじめ案内のスタッフも多く配置するなど、観光やサービスの基本である“ホスピタリティ(もてなし)”の姿勢を展開しているのが好感できた。

駅の新装披露式典を兼ねて行われたのが、ダイヤ改正に伴う新塗装車両のお披露目。まず赤い小田急線1000形車両が登場(標準は銀または白の地に青帯)。現在、箱根登山鉄道・箱根湯本 – 小田原間は小田急車両で運転されており、このカラーリングを箱根登山鉄道車両のシンボルカラーとなっている赤色に変更した。ホームでは地元旅館の女将から運転士に花束の贈呈。

引き続き行われたセレモニーは、登山鉄道王国であるスイスのレーティッシュ鉄道との姉妹提携30周年を記念する特別塗装を施した、箱根登山鉄道の2000形車両が登場。レーティッシュ鉄道で運行されている「グレッシャー・エクスプレス」(グレイシャー・エクスプレス、氷河特急)と同意匠の、赤&白の車体色を採用した。先頭部には両国国旗を組み合わせたヘッドマークがあしらわれ、在日スイス政府観光局のロジェ・ツビンデン支局長と和田雅邦箱根登山鉄道社長によって除幕された。

《レスポンス 浜田拓郎》

篤姫の逸話など紹介、ボランティアによる生涯学習講座/小田原

3月15日21時0分配信 カナロコ

 小田原市民ボランティアによる生涯学習講座「きらめき☆おだわら塾」が十五日、同市中里のタウンセンター「マロニエ」で開かれた。九グループが歴史や美術、語学などをテーマにそれぞれ講義した。

 十三年前から同講座の講師を務める郷土史家の石井啓文さん(68)は、幕末の戊辰戦争(一八六八―六九年)期の小田原藩の動きや徳川十三代将軍家定の正妻で幕末の動乱を生きた天璋院(てんしょういん)篤姫(あつひめ)について講義した。

 小田原藩と幕府側の遊撃隊が箱根山崎(現在の同市入生田)で戦った史実や、篤姫が一八八〇年に小田原や箱根を訪れ、箱根の温泉場で急逝した皇女・和宮(かずのみや)をしのんで和歌を詠んだ逸話なども披露した。

 市内の男性(74)は「まだまだ知らない地元の歴史があるんですね」などと感心していた。このほか、西洋美術史や英会話、日本文化などについての講座が開かれ、計約二百人の受講者は、ノートを取るなど熱心に学んでいた。

交流:38年前、北ア遭難救助忘れず 生還した内野さん、元山岳警備隊員らと /岐阜

3月15日11時1分配信 毎日新聞

 38年前の正月、雪の北アルプス南岳(標高3033メートル)での山岳遭難事故の救助に来てくれた県警山岳警備隊員らと交流を続けている埼玉県さいたま市西区の郵便局職員、内野幸一さん(62)が13日夜、高山市奥飛騨温泉郷平湯で、命の恩人たちとまた再会した。なかには15年ぶりという元警備隊員の懐かしい顔もあった。【奈良正臣】
 ◇「記憶、昨日のよう」--高山
 内野さんは24歳だった1971年1月3日朝、友人と2人で南岳の稜線を縦走中、約300メートル下の滝谷へ転落した。救助隊は6日夕に現場にたどり着き、翌7日朝から約7時間がかりで南岳小屋に引き揚げた。内野さんは8日、自衛隊のヘリで下山することができた。内野さんは凍傷で左足を切断したが、その後、義足で再び山登りをするまでになった。
 内野さんは94年になって、猛吹雪の中、救助に尽力してくれた3人と23年ぶりに再会した。現場まで来てくれた山岳警備隊員だった森本靖宏さん(67)、民間の北飛山岳救助隊員だった三ツ尾健治さん(73)と、途中の槍平(標高1991メートル)まで資材を運び、その後は無線の中継点となって救助隊を支えた岩平源治さん(60)だ。
 それ以来、森本さんや三ツ尾さんとは親しく付き合っていたが、岩平さんとは会う機会がなく、4人が集まった13日夜は、15年ぶりの再会だった。
 遭難事故と救助の記憶が、昨日のことのようによみがえった。内野さんは、片足で雪洞を掘って、3日3晩眠らずに耐えた。だが、「頭の上を何度も雪崩がかすめて行って、恐ろしかった」と思い起こした。
 一方、救助した三ツ尾さんは「凍傷でロウソクのようになった内野さんの左足を一晩中、自分の肌で温めた。砂糖湯をおいしそうに飲んだときの内野さんの顔が忘れられない」と語った。森本さんは「内野さんが助かったのは、生きようとする精神力が生んだ奇跡としか思えない」と話した。ただ、最近また山岳遭難が増えていることに「安易な気持ちで山へ登る人が増えて残念だ」と顔を曇らせていた。

独身息子の母介護(4)仲間と共に「幸せ」かみしめ

3月16日12時53分配信 産経新聞

 不器用な独身息子らが、母の在宅介護を楽しんで続けるには、同じ介護経験を持つ仲間との交流が欠かせません。全国には、介護で悩んだときに相談できる家族会が多数あり、最近は独身息子らの参加も目立っています。(清水麻子)

 午前11時。母(77)を載せたデイサービス車を見送り、家事を済ませ、ゆっくり朝風呂につかる。「幸せだなあ」。東京都国分寺市の伊藤隆之さん(48)は、しみじみ思う。

 母は要介護5。5年前、認知症と診断された。当時、伊藤さんは43歳。将来独立する夢があり、飲食店で働いていたが、介護役を担うのは自分しかおらず、辞めて介護に専念するようになった。

 収入は母の遺族年金のみだが、伊藤さんは「優しかった母に恩返しができる生活は、とても人間的」と前向きだ。残り物を工夫しておいしい食事を作り、母の便秘解消法を工夫するのも創造的で、また楽しい。

 しかし、かつてはこんな前向きな気持ちではいられなかった。母が認知症と診断される前は、「保険を解約された」と騒ぐ母に腹が立ち、ひどい言葉を投げかけたことも。認知症と判明してからも、この先どうなるか予測がつかず、不安だった。

 そんなとき市報で、認知症の人の家族会「きさらぎ会」(国分寺市)の存在を知り、何気なく参加したことが、伊藤さんの人生を変えた。

 テーブルを囲んでいたのは、母と変わらない年齢の女性たち。壮絶な介護を続けてきた人もいた。それでも人生に向き合い、幸せだと語る経験者を前に、夢中で母のことを話した。経験者らに「お母さんに幸せだと思ってもらうには、息子さんがまず元気でないと」と、言葉をかけられ、はっとした。

 「まだ起きてないことに、不安を感じなくてもいい。何か問題が起きたら、会の仲間に相談できる」。肩の力を抜いて母に接したら、母にも笑顔が増えた。

 伊藤さんはいう。「月に1回しかない会合ですが、非常に大きな存在になりました」

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 ■悩みを語って介護の質も向上

 「きさらぎ会」の西原恵子世話人によると、5年ほど前から、参加者に独身息子らが目立ち始めた。現在は伊藤さんを含め6人。「みなさん、回を追うごとに前向きになっています」

 男性介護者の実情に詳しい立命館大学の津止(つどめ)正敏教授は「介護仲間がいる人と、いない人との気持ちの持ちようは、まったく違う」と話す。「在宅介護をしていると、心が揺れることが多いが、悩みを話せる介護仲間がいれば、気持ちが整理できて質の高い介護につながる。逆に他者との関係性が絶たれると、気持ちの持って行き場がなくなり、共倒れになる」(津止教授)

 家族会が果たす役割は大きいが、独身息子らには敷居が高い。なかには、半年前の市報を握りしめて参加した人も。東京都江東区の在宅介護家族の心のネットワーク「絆きずな」にも、介護する息子はいない。小野有香里代表は「なかなか情報を届けられず、もどかしい」と打ち明ける。

 男性が気軽に参加できる家族会が少ないことから、津止教授らは今月8日、「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」((電)075・811・8195)を立ちあげた。男性介護者を支援する、オヤジの会(東京都荒川区)▽シルバーバックの会(長野県上田市)▽スマイルウェイ(兵庫県宝塚市)などが参加。今後、都道府県に1カ所程度に家族会を増やしたい意向だ。

 津止教授は「ケアマネに連れてこられ、煮詰まった感じが解消されつつある人もいる。専門職は、彼らをどんどん会に誘ってほしい。同時に、男性には経済的な問題も大きいので、介護と仕事の両立支援策も考えていきたい」と話している。

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 身近な家族会を知るには、東芝けあコミュニティ(http://care.toshiba.co.jp/care/index_j.htm)の在宅介護家族会全国ガイドが参考になる。また、各地の社会福祉協議会も詳しい。=おわり