園佳也子さん死去…金鳥サッサCMで人気

女優の園佳也子(その・かやこ)=本名・清水郁子=さんが、東京都世田谷区池尻の自宅で死亡していたことが29日、分かった。病死とみられる。80歳だった。舞台やドラマなどで見せる姿と同様、素顔も愛嬌(きょう)ある元気いっぱいの人柄で多くの人に親しまれた。

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 警視庁世田谷署によると、園さんは1人暮らし。27日午後に訪れた姪(めい)が、風呂場で倒れているのを見つけて119番し、死亡が確認された。心不全だった。26日午後には知人と会話をしていたという。

 姪は1人暮らしの園さんの様子を定期的に見に訪れていた。

 園さんは東京都出身で、大阪・天王寺で育った。NHK大阪放送劇団の聴講生となり、テレビに初出演。神戸女学院大文学部を卒業後、66年に東京に活動の拠点を移し、芸術座の舞台「細雪」のお手伝いさん役で注目を集める。

 その後、ドラマ「細うで繁盛記」「ありがとう」「おんなは度胸」などのホームドラマで、関西弁の愛嬌のある脇役として元気で庶民的な女性を演じ、親しまれた。玉ねぎヘアがトレードマークだった。

 CMでは金鳥サッサのコミカルな演技でも人気を集めた。

 晩年は舞台を中心に活動し、女優・水谷八重子、波乃久里子と共演した舞台「三婆(さんばば)」は好評を博した。人気作家・有吉佐和子氏原作の名作舞台。2006年10月31日には、12月の「三婆」舞台の製作発表で「1週間前に、肋骨(ろっこつ)5本が折れていたことに気付いたんですわ」と豪快に笑い飛ばしながら告白。最終通しげいこを行った11月30日には、肋骨骨折に続き、ぎっくり腰で腰痛に悩まされていることを明かしていた。

 演劇関係者によると、園さんはここ3、4年ほど活動をしていなかった。

チーム状態最悪…フィンケ監督勝利なるか

浦和は連日の“トップ会談”でどん底脱出を図る。現在公式戦5戦連続勝利なしとチーム状態は最悪。柱谷GMは「毎日、監督と改善点について話し合っている。(監督は)自信を持って指揮しているし迷いは感じられない」と明かした。

 そのフィンケ監督はこの日の練習をわずか35分間で終了、選手には水風呂を推奨するなど酷暑対策にも必死。28日はDF山田暢とMF細貝を出場停止で欠くが、相手は最下位の京都。独善的にチームづくりを進めてきた指揮官には結果が求められる。

バスタオルを巻いて女風呂に潜入 強制わいせつ未遂で男を再逮捕 栃木

今市署は23日、女風呂で女性に抱きつこうとしたとして、強制わいせつ未遂の疑いで、埼玉県羽生市東、会社員、渡会圭介容疑者(25)=建造物侵入容疑で逮捕、処分保留で釈放=を再逮捕した。「ムラムラした」などと容疑を認めている。

 調べによると、渡会容疑者は6月27日夕、日光市鬼怒川温泉滝のホテルの女子浴場で、女性客(49)に抱きつこうとした疑い。渡会容疑者は細身で、犯行当時は髪を肩までのばしていた。体にバスタオルを巻き付けるなど、女性のふりをして女風呂に入場。女性に抱きつこうとしたが、ひざげりで抵抗されたため逃走した。

 ホテルでは6月に客室内の財布が盗まれる窃盗事件や、就寝中の女性の体を触る強制わいせつ事件が連続して発生。張り込んでいた同署員が渡会容疑者を逮捕した。今後、窃盗容疑などでも捜査する方針だ。

臓器移植 ベランダの朝顔:1 生後1カ月、突然心臓止まりそうに

「移植はしない」。そんな選択をして娘が5歳で亡くなって、まもなく1年になる。

 関東地方に住む女性(38)が初めて娘に異変を感じたのは、2004年8月。生後1カ月が過ぎ、お宮参りから帰った日の夕方だった。

 お風呂場の夫(42)から娘を受け取り、胸に抱いた直後、力が抜けたように娘の目がスーッとより目になった。

 「すぐに大きな病院に行ってください」。かかりつけ医のすすめで、地域の拠点病院の救急外来へかけ込んだ。

 採血の針が入っていかず、X線撮影しかできなかった。それでも、小さな体には、血中の酸素の濃度をはかるモニターなどがつながれた。待合室からは、看護師が診察室にあわただしく出入りする様子が見えた。

 しばらくして診察室に入ると、救急外来で最初に診察した人とは別の医師がいた。

 「落ち着いて聞いて下さいね。心臓が止まる寸前なんです。うちでは手に負えない。救急搬送先をなんとか見つけます」

 前日の夜、おしっこが少ないような気はしていた。母乳を飲む量も減っていた。産後の乳児健診では、心臓の雑音は指摘されたが、そこまで悪い状態とは、思っていなかった。

 東京女子医科大(新宿区)への搬送が決まった。車の振動を受けただけで、心臓が止まる危険があった。それでも娘はずっと目をぱっちりと開けていた。「生きる力だね」。救急隊員がつぶやいた。担架の移動にも気をつかいながら、午後10時ごろ、病院についた。

 1~2時間後、検査結果が出た。娘の心臓には、拡張型心筋症や肺動脈の異常など、複数の大きな病気があった。

 「生まれる前に亡くなることも珍しくないし、生まれてもすぐ亡くなることが多い状態なんです」。医師は言った。

 その晩は夫と二人、一睡もせずに病院で過ごした。翌日、入院の準備のために一時帰宅してからも、涙がとまらなかった。

 「娘は死んでしまうんだ」

 集中治療室(ICU)で、娘はいくつもの医療機器に囲まれていた。泣くだけでも心臓に負担がかかるため、薬の力で眠っていた。いつもの柔らかい表情は消えていた。

 結婚して7年で授かった待望の赤ちゃんだった。「あきらめるなよ」。夫の声にうなずきながらも、絶望感で立ち上がれなかった。

特集:野口さん帰国-南極隊長と紙上対談- 地球はまるで生き物

日本人最長となる163日間の宇宙滞在を終え、6月に帰還した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野口聡一宇宙飛行士(45)が16日、帰国した。国際宇宙ステーション(ISS)では維持管理任務の傍ら、科学実験も担当した。本紙環境面の連載「未来みつめて~宇宙と南極から」(10年2~5月、計5回)を共同執筆し、南極昭和基地に滞在中の工藤栄・南極越冬隊長(47)と、極限環境での生活や地球への思いを、紙上で語り合った。【構成・西川拓】

 ◇違った表情10万枚撮影--野口さん
 ◇未知の自然解く面白さ--工藤さん
 --お二人の近況を教えてください。

 野口 宇宙に行く前は「半年間(の滞在)は長いかな」と思っていたのですが、行ってみるとあっという間でした。今回の長期滞在は、普段の生活をうまく宇宙に持って行くことができ、あと2、3カ月いても大丈夫だと感じました。帰還後は、無重力の宇宙滞在中に衰えた筋力や骨量を元に戻すためのリハビリテーションや医学検査、ISSの技術的な問題を話し合う会議など、予定に追われています。

 工藤 南極は数日前まで、一日中太陽が昇らない「極夜(きょくや)期」でした。極夜期は天候が良ければ日中の2~4時間は薄明るいので、屋外での観測や作業も何とかこなせますが、昭和基地内に閉じこもることが多くなります。気分が落ち込まないよう、この時期に「極夜祭」を開くのが越冬隊の伝統。氷点下30度の屋外で露天風呂に入ったり、調理隊員が腕を振るったフルコース料理を食べ、演芸大会や綱引きなどのスポーツできずなを深めました。野口さん、ISSでの食事はいかがでしたか。

 野口 ISSではフリーズドライの食べ物が中心で、たまにリンゴやトマトなどの生鮮食料が補給船で届くと大喜びで食べていました。栄養的にはフリーズドライで十分満たされるのですが、やはり新鮮なものを食べることは大事だと感じました。

 工藤 昭和基地では葉ものの野菜を水耕栽培で育てていて、食卓に彩りを添えてくれますが、キュウリやトマトなどが恋しくなります。「地球に帰ったらすぐ食べたい」と思ったものは?

 野口 05年の初飛行は約2週間でしたが、「帰ったらすしが食べたい、そばが食べたい」と強烈に思いました。今回はそれほどでもなかったのですが、カザフスタンに着地した直後に渡されたリンゴはおいしかったな。地球に帰ってきたんだと思いました。

 --ISSではお酒も飲めません。

 野口 行く前はどうなるのかと心配でした。成人して以来、半年間もお酒を飲まなかったことはありませんから(笑い)。でも、最初の1週間を乗り切れば、慣れるものです。ところで、90分で地球を一周するISSでは45分ごとに昼夜が入れ替わりますが、極夜の昭和基地はずっと夜ですよね。逆に夏の白夜(びゃくや)だと一日中昼。体調に影響はないのですか。

 工藤 極夜、白夜はそれぞれ年間40日ほどです。極夜でも昼は薄明るいし、白夜でも夜は薄暗くなって、朝昼夜を感じることができます。どちらかといえば白夜の方が、屋外の活動時間が長くなり、疲れるせいか夜はぐっすり眠れます。極夜は体を酷使することが少ないので、睡眠リズムが乱れて不眠を訴える隊員も出ますね。今回、南極観測隊では毎晩見る夢を記録しています。「日本で見る夢とは違うかもしれない」という中高生の提案に応えたものですが、野口さんは宇宙では夢を見ましたか。

 野口 地上にいるときと変わらなかったかな。ただ、半年もいるとISSでの生活もだんだんと古い記憶になっていきますから、宇宙にいる夢も見ました。

 --同じ顔ぶれで長期間、閉鎖空間にいると、人間関係に影響したりしませんか。

 野口 まったく見ず知らずの人と半年暮らすのは大変でしょう。しかし、幸か不幸か、長期滞在の訓練は3~4年かかります。その間は、寝食を共にするのに近い生活なので、気心が知れた仲になるのです。もしも組み合わせに問題があれば、訓練中に分かるんじゃないでしょうか。

 工藤 大なり小なり気まずさは生じてしまいます。対人関係のストレスを減らすには、仕事がバランスよく割り振られ、南極の自然に触れる観測旅行などに参加できる環境を作ることだと思います。

 野口 大航海時代などは2年も3年も同じメンバーで航海していた人たちがいたわけで、宇宙や南極が初めてではない。例えば火星に人間が行くことになっても、うまく乗り切る知恵は持っていると思います。

 --野口さんは宇宙から撮影した地球の写真をツイッターで公開しました。

 野口 ざっと10万枚以上撮影しました。そんなに撮るつもりはなかったんですが、行ってみると、地球は毎日毎日違った表情を見せるし、面白い景色があるんですね。それを地上の皆さんにもリアルタイムで伝えたいと思いました。でも、こんなに反響があるとは思いませんでした。毎朝、自分の携帯電話に(ツイッター経由で)地球の写真が届くことの意味は、予想以上に大きかったようです。南極にも、現地に行かないと分からないすごい景色があるのでしょうね。

 工藤 技術の進歩のおかげで、美しい風景やオーロラなどもかなり克明に伝えられます。しかし、南極の冷たく研ぎ澄まされた空気の中で感じる風景は、写真や映像とは心の中への伝わり方が違うように思えます。ブリザード(雪嵐)の猛威、山を越えた瞬間、広がる大陸氷河の雄大さ、湖底に草原のように繁茂する植物の生命感などは、視覚だけでなく五感に訴えてくる。

 --不便な思いや苦労をしてまで、なぜ人間は、宇宙や南極のような辺境に出かけていくのでしょう。

 工藤 「なぜ山に登るのか?」に似た質問ですね。南極には未知の自然がまだまだ数多く残っています。未知のものを探し、その不思議に触れ、解き明かすことに面白さを感じます。人間の心には、困難を努力と工夫で克服し、達成感を味わいたいという基本的な欲求があるのではないでしょうか。

 野口 私自身は宇宙から地球を見たい、無重力での生活を体験してみたいと思いました。そして、外からじっくり地球を眺める経験は大きかったです。目の前で回っている地球は、まるで一つの生き物のようでした。南極も同じでしょうが、新しい場所でいろいろなものを見てみたいという好奇心は人間ならではのもの。そして、新しい場所から従来とはまったく違う視点で、科学の発展や技術の開発に挑戦し続けることこそが、人類の抱えるさまざまな課題を解決することにつながると信じています。

 ◇163日間の滞在 ISSで山崎さんと対面
 野口さんは09年12月21日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からロシアのソユーズ宇宙船で打ち上げられた。ソユーズは23日、ISSにドッキングした。

 日本人最長となった163日間の宇宙滞在で、エンジニア出身の野口さんが「ハイライト」と振り返るのは今年3月、ISSの日本実験棟「きぼう」のロボットアームに、「指」に相当する精密作業用の小型アームを取り付けたことだ。これできぼうの性能がフルに発揮できる環境が整った。野口さんは毎日新聞への寄稿で「日本の技術レベルの高さを示せた」とつづった。

 4月には、米スペースシャトル「ディスカバリー」でISSを訪れた山崎直子飛行士(39)と宇宙で対面。複数の日本人が宇宙に同時滞在するのは初めてだった。「日本人がどんどん宇宙に出て行く時代になった象徴的な場面だった」と野口さん。

 滞在中はISSの維持管理のほか、材料科学や生命科学の実験を担当。無重力環境が人間の位置感覚や距離感覚に与える影響を調べる医学実験の被験者になったほか、公募で選ばれた「おもしろ宇宙実験」も積極的にこなした。

 6月2日、ソユーズ宇宙船の帰還カプセルに乗ってカザフスタン中央部の草原に着陸。「ハッチを開けたとたん、草のにおいが入ってきた。地球の空気はおいしい」と、恒例として渡されたリンゴとともに、久しぶりの地球を味わった。

 ◇宇宙で毎日「つぶやき」 26万人が体感
 ◇ハイチ、メキシコ湾…災害写真もいち早く
 野口さんは宇宙滞在中、自身の簡易ブログ「ツイッター」(http://twitter.com/Astro_Soichi)にほぼ毎日のペースでコメントや写真を投稿した。今も続けている。

 「フォロワー」と呼ばれる閲覧者は全世界の26万人以上に達し、米メディアから「スペース・ツイッター・キング」(宇宙のツイッター王)の「称号」を贈られた。

 「朝から忙しく労働中です」など、分刻みのスケジュールで過ぎていくISSでの暮らしを、暇を見つけては発信。中でも、ISSから撮影した地球の写真は人気を呼んだ。アンコールワットやモンサンミシェルなどの世界遺産に加えて、名もない島、海や雲が形作る絵画のような造形を、400キロ上空から狙い続けた。

 ハイチ地震(10年1月)、メキシコ湾での原油流出事故(同4月)など、災害現場の様子もいち早く掲載。「がんばれ、宮崎!」というメッセージとともに、口蹄疫(こうていえき)に見舞われた宮崎県を撮影した写真には「早く終息しますように」などの応援コメントが数多く寄せられた。

 「45分後に新潟県、山形県、福島県(の上空)を通過します」と予告したり、被写体の地名を当てるクイズを出題するなど、閲覧者とのコミュニケーションを意識した情報発信で人気が定着した。

 野口さんは5月8日の書き込みに「地球は、圧倒的な存在感と奥深い暖かさを感じさせる生命体です。毎日毎日、どうしていままで気がつかなかったのかと思わせるような、新しい美しさを感じさせてくれます」と、地球への思いをつづっている。

 ◇次の飛行士は…… 来春、古川さん 12年夏、星出さん
 野口さんに続き、11年春から古川聡飛行士(46)・西川撮影▽12年初夏から星出彰彦飛行士(41)・NASA提供=がそれぞれ半年間、ISSに滞在する。古川さんは初の宇宙飛行。星出さんは08年の米スペースシャトル「ディスカバリー」搭乗に続き2回目だが、長期滞在は初めて。

 スペースシャトルが来年2月の飛行を最後に退役するため、両飛行士はロシアのソユーズ宇宙船で往復する。その後も1年半に1人程度の頻度で、日本人飛行士がISSに長期滞在する計画だ。

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 ■人物略歴

 ◇のぐち・そういち
 65年、横浜市生まれ。東京大大学院工学系研究科修士課程修了。石川島播磨重工業(現IHI)のエンジニアから96年、宇宙飛行士候補に選抜された。05年7月、米スペースシャトル「ディスカバリー」で初の宇宙飛行。昨年12月から今年6月まで、若田光一飛行士に続く日本人2人目の長期滞在者として国際宇宙ステーションで生活した。

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 ■人物略歴

 ◇くどう・さかえ
 63年、秋田県山本町(現三種町)生まれ。東京大大学院理学系研究科修了。現職は国立極地研究所准教授。専門は、南極の湖で発見されたコケや藻類などの植物生態系の研究。南極観測隊への参加は、98~00年の第40次隊を皮切りに今回で7回目。来年2月まで昭和基地に滞在し、隊長として28人の越冬隊員を取りまとめる。

父親の子育て参加を応援 藤枝市が父子健康手帳を配布

育児に熱心な“イクメン”を応援しようと、藤枝市は7月から、父子健康手帳の配布を始めた。妊娠時に行政から交付される母子健康手帳はおなじみだが、市によると、県内23市のうち、父親向けの手帳を配布するのは藤枝だけという。

 父子手帳はポケットサイズのA6判、40ページ。妊娠時の胎児の成長の様子や、出産を楽にする妊婦体操、赤ん坊の抱っこの仕方など、イラスト入りで紹介している。母親が手伝ってほしいおむつ交換、お風呂の入れ方も詳しい。豆腐のすりつぶしや白身魚のトロトロ煮など、簡単にできる離乳食の作り方も掲載されている。

 市児童課によると、保健センターで母子手帳を交付する際、新米パパにも父子手帳を手渡している。担当者は「女性にとって育児サポートがほしいのは、妊娠時から乳児期。父親に楽しく育児参加してもらうために、分かりやすくまとめました」と話している。 (高橋健一)

カブトムシ600匹捕まえて

カブトムシを高崎の街で捕まえよう――。高崎市中心部の商店街「さやもーる」で10~18日、カブトムシ約600匹を放って自由に採集してもらう初のイベントが催される。主催する高崎中部名店街の理事で、カブトムシを育てた後藤政尚さん(48)は「放課後の夕方が狙い目。高い所にも止まっているので、網を持ってきて」と子供たちに呼びかけている。

 「ビートルズウイーク」と銘打ったイベントの期間中、全長150メートルの商店街に植木を持ち込み、街路灯にはヤシの実の皮を巻き付けてカブトムシが過ごせる環境を整える。商店街で育てた成虫を毎夕、数十匹ずつ放ち、持ち帰ってもらう。

 月に1度の「たかさき昼市」に合わせた最終日の18日は、午後2時~4時に「かぶと虫相撲大会」を開催。期間中に捕まえたカブトムシで押し相撲、レース、綱渡り、綱引きの4種目を争ってもらう。全種目に参加すると、オスとメスの幼虫引換券をもらえる。「来年は育てたカブトムシで大会に参加してほしい」と後藤さん。同じ日の午後3時からは大人向けに、カブトムシが名の由来となったビートルズのコピーバンドによるライブを上演する。

 イベントを企画するきっかけは、制服を扱う洋品店に来た中学生が、幼稚園や小学生の頃にカブトムシを商店街の催しでもらったのを覚えていたことだ。子供の記憶に残るイベントを行えば、商店街の活性化につながるのでは、という思いから実現にこぎ着けた。

 後藤さんは、33歳の頃からカブトムシを育てている。カブトムシの写真を飾る市内の歯科医師と意気投合し、榛名・箕郷地区の山中の堆肥(たいひ)やおがくずの中など、幼虫がいるスポットを教えてもらった。以来、地元の人に許可を取り、毎年約800匹を採集している。

 飼育場所は古い風呂おけや木箱。エサとなる朽ち木などを敷き詰める。「エサがなくならないようにする」「夕立でおぼれ死にさせない」という2点に注意すれば、梅雨明けの少し前、500~600匹は成虫になる。

 2001年と06年に成虫を配るイベントを行ったが、今回は初めて「虫捕りの場」を提供する。後藤さんは「イベントをきっかけに育てる楽しさを知ってもらい、商店街に足を運んでくれたらうれしい」と期待している。

(2010年7月6日 読売新聞)

龍馬伝説残る御手洗 広島県呉市・大崎下島

■志士集う 歴史の穴場

 「御手洗を素通る船は、親子乗りかや金なしか」とうたわれた瀬戸内の港町・御手洗は、広島県呉市の大崎下島にある。江戸時代、中継貿易でにぎわう歓楽地だった。幕末、坂本龍馬ら維新の志士も集ったという。島に伝わる「龍馬伝説」を追った。(中川正美)

 御手洗は、北前船など海上輸送量の急増を背景に栄えた商業港で、国の重要伝統的建造物群保存地区だ。一昨年秋、安芸灘4島を結ぶ最後の橋が開通し、本州と陸続きになった。架橋前に比べて観光客は倍の年間十数万人に増えたが、まだまだ歴史散策の穴場である。

 龍馬伝説探しの出発点は、歴史資料を展示する「江戸みなとまち展示館」。寄港を裏付ける「河田佐久馬備行ミちの記」(山口県文書館所蔵)を複写したパネルが展示されている。河田は鳥取藩士で、龍馬とは旧知の間柄。1867(慶応3)年4月日の記録に、潮待ちで御手洗に入港し、龍馬と談笑したとある。1週間前に讃岐沖で起きた蒸気船「いろは丸」の衝突事故の顚末を語ったらしい。

 龍馬が立ち寄った可能性があるのは、豪商だった金子邸。長州(山口)と芸州(広島)両軍が討幕の約定「御手洗条約」を結んだ場所とされ、「龍馬、中岡慎太郎などの志士も度々来島し、密談を行った」と邸宅前に説明書きがある。

 観光ボランティアガイドを務める下鍛冶尚真さん(78)は「お寺の道場だった新谷道太郎宅にも幕末、龍馬をはじめ志士たちが集まったそうです」と話す。新谷氏は御手洗に隣接する大長出身で、軍艦奉行だった勝海舟の若党になり、山岡鉄舟に剣を学んだ。自伝によると、1867年11月初旬、新谷宅で土佐、薩摩、長州、芸州の四藩軍事同盟が成立したという。

 幕末、御手洗は芸州と薩摩両藩の秘密貿易基地にもなっていた。公武合体で奔走中の薩摩藩士大久保利通が寄港し、船宿でひと風呂浴びた記録もある。

 歴史が息づく島で、維新の志士に思いをはせるのも楽しい。
 ガイドの問い合わせは、「潮待ち館」内の豊町観光協会(電話0823・67・2278)へ。

◎味わう
 江戸後期に建造された防波堤「千砂子波止」近くに昨春、海鮮料理「脇坂屋」が開店した。一番人気は穴子重(1800円)。砂や泥の底部ではなく、岩場にすむ地元産のアナゴを使う。臭みがなく、肉厚。漁師から直接仕入れ、刺し身でも提供する。店主の脇坂進さん(59)は島の活性化をめざす「安芸灘四島物語協会」の会長を務める。妻の園見さん(42)は店の女将で、御手洗節を聴かせる。電話0823・66・4343

◎名物
 JA広島ゆたかの郷土料理グループが製造する「みかん味噌」が人気を集めている。代表の中村和子さん(68)は「島の保存食で、義母から作り方を教わった」。東京のツアー客に提供したら好評だったため、2年前に商品化した。みかんを丸ごとゆで、いりこやごぼう、にんじんなどを加え、合わせ味噌で調える。豆腐や野菜に合う。「みかんあいらんど」(電話0823・67・2055)などで販売している。150グラム入り400円。

◎出会う
 七卿落遺跡近くにある「ぎゃらりー蔵」。武者小路実篤氏らが創立した美術公募団体「大調和会」会員で、みかん農家4代目の廿日出義弘さん(72)が昨年初めに開設した。先代が、米蔵をみかん倉庫に改装。高潮の被害を受けて使えなくなり、絵画作品の保管を兼ねてギャラリーへ。農作業の合間、週末を中心に随時開ける。島の風景など油彩約30点を展示する。入場料100円。電話0823・66・2452

◎泊まる
 海岸沿いにある「船宿 なごみ亭」は、みかん農家が使っていた旧家を改装し、今春から1組限定で宿泊客を受け入れる。「自慢は島の自然と新鮮な魚料理」と女将の日置トシコさん(67)。2階にある宿泊用の部屋は22畳余りの広さで、定員10人。家族やグループ向けだが、空いていれば1人でも宿泊できる。1泊2食付き1人1万円。昼は1階店舗で「あなごめし」(950円)を提供する。電話0823・66・3558

 ■アクセス 広島市中区の広島バスセンターから直行バス(平日4便)で2時間20分。呉市・川尻港からは高速船(週末4便)で約40分。自転車で乗船できる。車では、山陽道方面から広島高速2号線を経て広島呉道路の呉インターチェンジから約1時間。

住宅焼け女性の遺体

●郡山 男性も全身大やけど

 1日午後3時過ぎ、郡山市富田町の渡部武男さん(64)方から出火、木造2階建て延べ約82平方メートルの建物が全焼し、焼け跡から女性の遺体が見つかった。渡部さんも全身に大やけどを負い、病院に運ばれた。郡山北署によると、妻の恵子さん(59)の行方が分からなくなっており、同署は恵子さんとみて特定を急ぐとともに、2日に遺体を司法解剖して死因を調べる。

 同署によると、遺体は風呂場から見つかった。夫婦は2人暮らしだったという。

 近くの会社に勤める女性は出火直前、渡部さん宅から「やめて」「何するのよ」という女性の声を、開いていた会社の窓越しに聞いたという。煙が上がり、驚いて外へ出ると「誰か来て、助けて、助けて」と女性の叫び声がした。駆けつけて敷地に入り、家に向かって「大丈夫ですか」と声をかけ、「火事だ火事だ」と近所に呼びかけた。

 消防車を待っていると、燃えている家から男性がもうろうとしながら出てきた。「大丈夫ですか」と声をかけると「(消防や人を)呼ばないでくれ」と言われたという。

 外にいた近所の女性(70)は午後3時半ごろ、黒い煙で火災に気づいた。北側1階から黒い煙が出ていて、パーンパーンというガラスが割れるような音がしたという。

ふるさと納税で露天風呂

上田市上室賀の室賀温泉「ささらの湯」が26日、ふるさと納税の寄付金などで露天風呂を増築し、新装開館した。

 名古屋市の会社経営滝沢有(たもつ)さん(77)が2008年、「母が生まれ育った上田市に貢献したい」と、市に6250万円の寄付を申し出たのがきっかけ。母親の出身地にある同館では、施設の充実を求める声が多く、市は、昨年の市議会7月臨時会に関連議案を提出し、可決された。

 檜(ひのき)風呂と岩風呂の洗い場は計30か所から計44か所に増え、各風呂には露天風呂も増設。檜風呂の露天風呂には寝湯もお目見えした。「ゆっくり入って、ツルツルの肌を手に入れてほしい」と山浦新一郎支配人(63)。

 営業は朝が午前5時~8時(大人300円、小中生150円)、昼・夜が午前10時~午後9時(同500円、同250円)。問い合わせは同館(電話0268・31・1126)。

(2010年6月27日 読売新聞)