遠ざかる 人通りも選挙も

駿府公園のほど近く、真っ赤な鳥居と常夜灯が静岡市葵区馬場(ばばん)町の入り口だ。町名は、徳川家康が馬場を置いたことに由来する。隣町の宮ケ崎町とともに、静岡浅間神社の門前町として参拝客らを出迎えてきた。

 24日はとにかく暑かった。時折、大通りを走る選挙カーから、候補者名を連呼する声が聞こえてくる。だが、浅間通りを行き交う人は日陰を探し、扇子であおぐのに忙しい。

 60年以上この地に店を構えてきたすし屋の主人(72)は、日が暮れるたびに軒先に目をやる。やっぱり人通りは少ない。出前の注文がぐんと減ったのは、15年ほど前からだろうか。かつては日付が変わるころまでのれんを出していたが、近ごろは午後10時を待たずに店じまいする。

 向かいの紙屋は昨年、店をたたんだ。風呂屋や人形屋も姿を消し、マンションや駐車場に変わった。民主党政権になったからといって、何も変わっていない。政治に期待する気持ちになれない。

 長年、この町にとって選挙と言えば市議選だった。呉服屋の主人から立候補し、6期22年務めた自民党市議は、商店街のアーケード一新に力を尽くしてくれた。選挙のたび、商店街が一体となってチラシを配り、店を訪れた客にも売り込んだ。

 だが、この市議は5年ほど前に病で急逝。後援会組織は解散し、町は選挙活動にとんと疎くなった。呉服屋を守る妻(56)は「参院選では、自民党に頑張って欲しい」と思うが、候補者陣営から特に連絡もない。

 5月ごろ、公明党支持者が1軒1軒顔を出し、「参院選はよろしくね」と声をかけて回った。でも、その後は、どの陣営の運動員も見かけない。若い新顔が街頭演説に立ったことがあったが、足を止める人はいなかった。

 浅間通り商店街が所属する市商店会連盟は、民主現職に推薦状を出した。でも、商店街の理事長(57)は、通りのみんなに強いるつもりはない。市議と違って、国政は声が届きにくい。商店街は一体になれないだろうと思う。

 園芸品店に民主陣営からファクスが届いたのは、ちょうど花束を造るのに忙しい時だった。現職の出陣式の案内だったが、店主の妻(51)は「応援はしているけど、仕事優先だしね」と受け流した。

 中華料理屋に勤める男性(72)が選挙運動に夢中になっていたのは、中曽根康弘元首相が自民党を引っ張っていた頃だ。選挙となれば、店をほったらかしにして、仲間と企業回りを続けた。見返りがあるわけじゃないと気づいて手を引いたが、関心まで失ったわけじゃない。

 「選挙が始まる熱をまだ感じないなあ」

 昨夏の衆院選は、マニフェストにひかれて民主党に1票を投じた。正直「期待外れ」だった。この参院選は、誰にしようか。「候補者の言葉を自分の耳で聞いてから、決めるつもりだ」

    ◇

 江戸時代から続くそば屋と、瀟洒(しょうしゃ)なマンションが同居する浅間通り。この町から参院選を見つめる。次回は7月初旬に。

(この企画は阿部朋美が担当します)

但馬8湯巡り:ほっと湯ったり リフレッシュパークゆむら サッカーW杯… /兵庫

 ◇26日は祝い風呂!?--日本代表選手と同姓の利用者に割引サービス
 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会開催を記念し、リフレッシュパークゆむら(新温泉町湯)は26日、日本代表選手と同姓の利用客を対象に料金割引サービスを行う。大人は通常の1100円が500円、小中学生と65歳以上は550円が250円となる。

 毎月26日の風呂の日の催し。岡田武史監督や登録選手23人と名字が同じ人が対象。岡田さんや本田さん、大久保さん、遠藤さんらが、免許証や健康保険証などの身分証明書を持参してフロントで示せば割引料金で入館できる。

 村尾秀一支配人は「25日のデンマーク戦で決勝トーナメント進出を決めてもらい、26日が祝い風呂となるよう選手には頑張ってほしい」と話している。

 リフレッシュパークゆむらは、水着で入る露天風呂、7種類の室内健康風呂、温泉熱を利用した温水プールを備えた湯村温泉の日帰り温泉施設。営業は午前10時~午後8時。問い合わせは0796・92・2002へ。【藤田宰司】

〔但馬版〕

父への感謝の風呂 下松

お父さんへの感謝の言葉を書いたヒノキの板100枚を男湯の湯船に浮かべる「ありがとう風呂」が19日、下松市平田のくだまつ健康パークで始まった。父の日(20日)にちなんだ企画で27日まで。

 世界遺産の熊野古道がある三重県尾鷲産のヒノキの円形の板で、直径約10センチ、厚さ約3センチ。「お母さんといつまでも仲良く」「ぼくが大人になったら呑もうね」「働き過ぎは要注意」…。大黒柱へのいたわりの言葉の数々が、約20平方メートルの浴槽を飾っている。

 体も心も温まってもらおうと同パークが企画。言葉は来場者に事前に募り、書いてもらった。

ごみの山の竹林、憩いの場に再生 四日市市西坂部

四日市市西坂部町の竹林が、広場と散策路に生まれ変わった。桑名市から松阪市までの中高年によるボランティアグループ「森林(もり)づくり三重」が、うっそうとして不法投棄も多かった竹林5000平方メートルを3年前から整備し、憩いの場に再生した。

 グループの会員200人は、県内15カ所で里山整備をしている。西坂部町の竹林は会員の紹介で、月に1度、10人ほどで作業をしてきた。

 竹林周辺には、四日市市による「ごみ捨て禁止」の看板がいくつも立っているほどで、当初は風呂おけや布団、流し台などの不法投棄が多く、市の協力で除去した。古い竹を間伐して機械で粉々に砕いたり、竹の垣根や間伐材のベンチを散策路沿いに置いたりして整備するうち、1年ほど前からはほとんどごみが捨てられなくなった。風呂おけは雨水をためるタンクに再利用し、道沿いのプランターの水やりに使っている。

 同市坂部が丘の野木孝紀さん(68)は竹林が散歩コース。「薄暗くて女性は夕方に近寄れなかったが、光が入って明るくなった」とボランティアに感謝する。山野草の写真撮影などを楽しんでいる。

 梅やアジサイ、サザンカなども植栽した。広場に置くシーソーやブランコも製作中だ。年内には整備が終わる見込みで、今後は地域の人たちと協力して維持管理に努める。森林づくり三重の小林貞佳さん(69)は「通ってくれる地域の人を増やして少しずつ手伝ってもらい、地域の活動にしていきたい」と話した。

 森林づくり三重では、里山整備の相談にも応じている。問い合わせは、事務局=電059(346)2506=へ。

 (福岡範行)

西村菜穂子さん:新米おかみ、もてなしの日々 病院の事務職から転身 /青森

◇「介護が必要な人も泊まれる旅館に」--浅虫温泉の西村さん
 青森市在住の西村菜穂子さん(47)は一昨年、病院の医療事務職から浅虫温泉にある旅館「ヘルシーインあさむし」のマネジャーに転身した。まだ赤字だが、持ち前の元気で失敗も糧にして前進。工夫したもてなしで、ファンも増えてきた。「おかみ」を目指しつつ、「まだ半人前」との自戒を込めて「おかめ」と刷った名刺を今春作製した西村さんは、求められるサービスを模索しながら、今日も客を迎える。【高橋真志】

 西村さんは、田舎館村出身。高校卒業後、東京都内のデザイン専門学校に入学したが、在学中、父親が急逝したため青森市へUターン。ブライダル業界を経て、80年代後半、飲食店経営などを手掛ける企業に転職。営業や企画、経理などを幅広く学んだ。

 仕事は充実していたが、深夜まで仕事が続くなど多忙過ぎることを母親が心配したため、90年代後半に別の道を模索。そんな時、休養に訪れた浅虫温泉で美しい自然に魅せられた。「飲食業は夜の仕事が多いので、日差しに照らされた緑をまぶしく感じた」。温泉好きだったこともあり、旅館街の病院で医療事務職員として働くようになった。

 転機が訪れたのは07年4月。勤務する病院が、近くにあった社会保険庁の保養施設を買い取り、旅館を開業した。直後から医療事務の合間に館内の飾り付けなどを手伝うように。ところが08年秋、当時のマネジャーが退職。飲食店経営に携わった経歴を買われ、院長が後任に抜擢(ばってき)した。

 旅館経営についてはまったくの素人。医療事務と並行しながら睡眠時間を削ってノウハウを学んだが、当初は失敗が続いた。客室数を超える予約を受けてしまい、事情を話して食堂に泊まってもらったことも。「嫌なことがある度に医療事務専従に戻りたいと思った」と、苦笑しながら振り返る。

 しかし、心を込めたもてなしは次第に客の心をつかんだ。新婚旅行カップルには、夕暮れの露天風呂で事前説明なしにケーキとバラ、ワインをプレゼントしたことも。「わくわく感を与えるのが仕事。お客さんの笑顔が活力になる」と話す。

 昨年からはマネジャーにほぼ専念するようになり、旅館周辺の里山散策や健康診断を盛り込んだ宿泊プランも企画。リピーターは着実に増加し、従業員にお土産を持参する客も現れた。

 忘れられない経験がある。マネジャー就任直後の08年秋、「要介護4」のおばあさんが家族と宿泊した時のことだ。近くの福祉施設からヘルパーを呼び、食事や入浴の介助を依頼。おばあさんだけでなく、介護から解放された家族も旅行を満喫することができた。

 後日、おばあさんが亡くなったとの連絡が家族からあり、「最後に楽しい思い出ができて幸せだった」と感謝された。「旅館で働かなければ、こんな経験はできなかった」。それまでは、マネジャーの仕事に戸惑うことも多かったが、仕事を続ける決心が付いた。

 近々、従業員とともにヘルパーの資格を取るつもりという。

 「福祉施設に毎回頼むのは難しい。介護が必要な人も安心して泊まれる宿にしたいから」

洗剤作り:廃油で 4年生18人挑戦--岐阜・明徳小 /岐阜

岐阜市明徳町の市立明徳小学校(大渕通男校長)で15日、廃油を利用して洗剤を作る授業があり、環境問題を学ぶ4年生児童18人がリサイクルについて学習した。

 明徳婦人会(広瀬美紀会長)が子どもたちに省エネ問題を考えてもらおうと企画。婦人会員15人が指導した。

 材料は家庭から出た廃油、米の研ぎ汁、ご飯、酢、水、カセイソーダ。給食の廃油も利用した。ペットボトルに材料を入れて何回も振ると、混ざり合ってクリーム色に変化。1カ月ほど置くと化学変化し、台所や風呂場の洗剤として使えるようになるという。

 婦人会メンバーの立木ふみゑさん(67)から教わった孫の奏弥(かなや)君(9)は「いらない油で洗剤ができるので、エコの勉強になる」と理科の実験を楽しんでいた。【立松勝】

境界を生きる:子どもの性同一性障害/3 孤独、偏見…「消えたい」

◇揺れる思春期 悩み抱え自傷、不登校に
 ただでさえ多感な年ごろだ。性同一性障害(GID)の子どもたちは性別への違和感に加え、学校でいじめや偏見にさらされ、孤独に押しつぶされそうになる。やっと振り返れるようになった若者たちが、苦しかったころを語ってくれた。

 「誰かに助けてほしい。でも自分からは言えなくて。心の痛みを傷の痛みで追い出すしかなかった」。東京都内でアルバイトをする和希さん(19)=仮名=は「これからの子どもたちの役に立つなら」と静かに語り始めた。左手首には線状の傷跡が無数に残っている。

 女の子の体で生まれた自分を男の子と意識し始めたのは、幼稚園のころからという。男子とばかり遊んでいた。小学5年生の時、クラスの女子全員にトイレに引きずり込まれた。「おとこおんな。本当に女なのか証拠を見せな」。下着まではぎ取られた。いじめはしばらく続いた。

 親に勧められるまま、中高一貫の私立女子校に進んだ。「そのうち慣れるだろう」とセーラー服を着て登校したが、つらさは増すばかり。胸が膨らみ、風呂に入るたびに他人の体を洗っているような感覚が襲ってくる。涙がこみあげた。「みんなと違う。おれは変なんだ」。自分が壊れていくようだった。

 未明まで期末テストの勉強をしていた時だった。ペン立てに差していたカッターナイフに目がとまった。刃を左手首に当て、そっと引いた。流れ出た真っ赤な血。何かが軽くなった。

 高校に進むと、小学校時代のいじめの記憶が何度もよみがえり、教室に入れない日が増えていった。「この世から消えてしまいたい」とマンションの10階から飛び降りようとしたが、頭に浮かんだのは警察で死因を調べるため裸にされている自分の姿。「女の体は誰にも見せたくない。死ぬことさえできなかった」という。

 思い切って担任の女性教諭に打ち明けた。「おれ、性同一性障害だと思う。変だと思いますか」

 「おかしくなんかない。ため込んできたことが、いっぱいあるよね。一緒に一つ一つ解決していこう」。初めて聞いた優しい言葉だった。

 このままでは単位不足で進級できないかもしれない。2人は話し合い、まずは体操着で授業に出られるよう学校に働きかけることにした。専門医でGIDとの診断書をもらい、「女子の制服では高校生活への適応は困難」との意見を付けてもらった。だが学校側は対応に迷い、時間ばかりが過ぎた。進級はかなわず、通信制に転校せざるを得なかった。

 和希さんが言った。「高校は友達も先生も大好きだった。できるならみんなと一緒に卒業したかった」。セーラー服を我慢できていたら。もっと早く学校を動かせていたら……。今も自分ばかりを責めるという。

     *

 01年10月から放映されたテレビドラマ「3年B組金八先生」のシリーズ。女優の上戸彩さんが女の子に生まれたことに苦しむGIDの生徒を演じ、大きな反響を呼んだ。この放送で「自分と同じだ」と気付いた子どもは少なくなかった。

 現在は首都圏の大学に通う晶さん(19)=仮名=もそんな一人だ。ドラマを見たのは小学5年生の時。親には言い出せなかった。男らしい体に成長するのを抑えようと1日1食にして給食をほとんど残し、さらしで体を締め付けた。

 和希さん同様、晶さんも一度は「我慢できるかどうかやってみよう」と心を決めた。男子高に進学したが、「男の演技」は半年と持たず、クラスで浮いた存在になってしまった。学ランを着ているのに雰囲気が女性的だからなのか、通学時に電車に乗っていると、好奇の視線を感じ、さらし者にされているようだった。

 そして2年生の秋。体育祭の準備で4階の教室に1人で残っていた時、急に孤独感が襲ってきてパニックになり、ベランダから飛び降りてしまった。命は助かったが、腰椎(ようつい)を骨折。隠してきた悩みを学校側に明かさざるを得なくなった。

 「あの事がなかったら、最後まで『助けて』という信号を出せなかったかもしれない」。その後教諭らは親身に相談に乗ってくれたという。

 大学に入ってからホルモン療法などを受け、自分から打ち明けない限り、もう男性と思われることはなくなった。心のままに生きようとするだけで異質な存在とみられ、孤独になってしまうGID。晶さんはいま、「普通の人でいられる幸せ」をかみしめている。【丹野恒一、五味香織】=つづく

 ◇自殺の危険性高く 「考えた」6割、「未遂」1割
 GIDの当事者を対象にした自殺関連の調査によると、精神的な苦痛は思春期にピークを迎える。

 受診者が多いはりまメンタルクリニック(東京都)で受診者1138人に尋ねたところ、自殺を考えたことがあるという人は62%に上り、自殺未遂経験は10・8%、自傷行為経験は16・1%。

 このうち自殺未遂を起こした年齢が分かった67人を調べると、高校生、中学生、小学生の年ごろの順で多かった。一般的に多い首つりや過量服薬、リストカットだけでなく、体の性別への嫌悪感から胸や睾丸(こうがん)を自分で切ったり、はんだごてを押し当てたというケースもある。

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27歳母、浴槽に10か月娘投げ殺害図った疑い

生後10か月の長女を風呂に沈めて殺害しようとしたとして、埼玉県警朝霞署は13日、同県和光市南、無職尾上由華容疑者(27)を殺人未遂容疑で逮捕した。

 発表によると、尾上容疑者は12日午後11時45分頃、自宅浴槽(水深約40センチ)に長女を投げ入れ、殺害しようとした疑い。「子どもが部屋を散らかすのでストレスがたまっていた」と話しているという。

 寝室にいた夫(42)が「ドボン」という音を聞いて風呂場に行き、服を着たままうつぶせで浮いている長女をすくい上げ、110番した。長女は無事だった。

 尾上容疑者は、夫と長女の3人暮らし。捜査関係者によると、尾上容疑者は児童相談所に育児の相談をしたこともあったという。

(2010年6月14日07時17分 読売新聞)

祖母が住んだ古民家をギャラリーに/洲本

神戸市垂水区出身の陶芸家、西村昌晃(まさ・あき)さん(31)が、祖母が長く住んでいた洲本市五色町鳥飼浦の古民家を改装し、今月からギャラリーとカフェをオープンさせた。かまどの煙で黒光りした梁(はり)や柱をそのまま生かしながら、部屋の一部はしっくいを塗って明るい空間に改造した。昔と今のコントラストが際だつ、斬新な建物に生まれ変わった。(藤本久格)

 丹波立杭(たち・くい)焼の窯元で修業した西村さんが、五色町の集落にある祖母の家の納屋と牛小屋を改装し、工房「樂久登(ら・く・と)窯」を開いたのは5年前。「窯をつくるなら、小学生の夏休みを過ごしたおばあちゃんの家と決めていました」

 西村さんがつくる焼き物は、茶わんや料理皿など素朴な作品が多い。古民家のもつ懐かしさと相まって、島外から多くの人たちが工房を訪れるようになった。

 「お茶を飲みながら、田舎の雰囲気と陶芸作品をゆっくりと楽しめる空間をつくりたい」。そう思うようになった西村さんは昨年春、古民家鑑定士で淡路市に設計事務所をもつ平松克啓さん(30)に家の改築を依頼。平松さんが声を掛け、島内の大工や左官業者たちが作業に携わった。

 改築した木造平屋建ての古民家は建坪148平方メートル。築100年の母屋と、70年ほど前に建て増した棟続きの離れ、風呂場や便所などの水回りを備えた築50年の建物からなる。

 台所と居間はテーブルやカウンター計17席を備えたカフェに改造。カフェスペースから上る屋根裏部屋は、土壁を塗り替えてギャラリーに。竹と木の皮で編んだ素材の上に土を敷いて断熱効果を高めた、昔ながらの「土天井(ど・てん・じょう)」もそのまま使った。カフェスペースと和風のギャラリーの間には、白いしっくい壁で洋風の展示スペースをこしらえた。和風建築のなかで際だつアクセントになっている。

 この春に小学校の教諭を定年退職した母親の正子さん(60)と姉の美帆子さん(33)が神戸から移り住み、ギャラリーを手伝う。正子さんは「最初は陶芸の道に進むのに反対だったが、息子がつくる優しい作品を通じて、たくさんの人と知り合いになれるのがうれしい」。昌晃さんは「祖母は3年前に亡くなったけど、多くの人が訪れる今の家を見たらきっと喜んでくれると思う」と話す。

 ギャラリーとカフェは午前10時~午後5時(火曜休み)。予約でランチもある。問い合わせは樂久登窯(0799・34・1137)へ。

「大きな病院だと虐待疑われる」1歳に熱湯の母、個人病院を受診

堺市南区の自宅で1歳の長女にシャワーで熱湯をかけ、大やけどを負わせたとして、傷害容疑で逮捕された母親の無職井上夢麻(ゆま)容疑者(23)が「大きな病院だと虐待を疑われると思い、事件直後は個人病院を受診した」などと供述していることがわかった。3か所回った個人病院ではいずれも「症状が重く、手に負えない」と言われ、4か所目に受診した総合病院が通報した。大阪地検堺支部は1日、井上容疑者を傷害罪で起訴した。

 起訴状によると、井上容疑者は4月9日夜、自宅風呂場で、長女の尻や背中などにシャワーで熱湯をかけ、やけどを負わせた、とされる。井上容疑者は「お尻の汚れを洗う時に泣いたので、カッとして、シャワーのノブを最高温度に回して熱湯をかけた」と供述。給湯システムの性能から湯は60度以上あったとみられ、長女は重傷で約1か月間、入院した。

 捜査関係者の話では、同居の母親(42)が4月10日朝、やけどに気付き、井上容疑者は個人病院3か所に長女を連れて行った。どこも「大きな病院に」と勧め、同13日に個人医院の紹介状で府南部の総合病院を受診、虐待が発覚した。井上容疑者は「手がかかり、産後からかわいいと思えなかった」とも供述しているという。

(2010年6月2日 読売新聞)