ソマリア海賊対策、補給艦に同乗取材

6月6日13時49分配信 TBS

 5日、補給艦「ときわ」に乗船、海賊多発地域のソマリア沖・アデン湾に向かいました。海賊対策の活動を公開するために防衛省が組んだメディアツアーです。

 外は40度近い暑さの中、300人の隊員たちが活動する補給艦内部は冷房が完備。風呂や食堂はもちろんのこと、歯医者までありました。

 この「ときわ」、今回初めて海賊対処部隊「さざなみ」「さみだれ」2隻への給油を予定しています。

 「ときわ」は、いわゆるテロとの戦いの後方支援がその派遣理由となっていますが、海賊の動き次第では今後、こうした海賊がらみの活動が増えることも予想されています。

 「(訓練で)ヘリを飛ばして、状況を確認するということです」(補給艦ときわ・高森安生 艦長)

 海賊対策で海外での活動範囲を広げた自衛隊。海賊対策新法も成立間近となる中、メディアツアーでは、対処部隊の活動そのものも公開されることになっています。(06日10:04)

JTBの2008年度サービス最優秀旅館とホテル、「有馬グランド」など4施設

6月4日16時30分配信 nikkei TRENDYnet

 ジェイティービー(JTB)は、JTB協定旅館ホテル連盟に加盟している約4300の旅館とホテルの中から、2008年度サービス最優秀旅館とホテルの4施設を選出した。大規模施設では、旅館部門に兵庫県有馬の「有馬グランドホテル」、ホテル部門に北海道札幌の「JRタワーホテル日航札幌」が選ばれた。

 有馬グランドホテルは、標高400mの展望大浴場のほか、天体観測会や蛍ツアーなど、四季折々のイベントが充実している。JRタワーホテル日航札幌は、札幌駅に隣接する地の利や、客室からの眺望が評価された。

 中規模施設では、天然自家源泉を利用して露天風呂やジャクジーなど、11の温泉を提供している静岡県嵯峨沢の「嵯峨沢館」が選出された。また小規模施設では、全室離れ形式で客室ごとに趣向を凝らした大分県由布院の「山荘無量塔」が選ばれた。

 選考対象は、JTB協定旅館ホテル連盟会員であり、利用者のアンケート回収枚数やアンケートの総合評価点など、独自の選考基準に基づき決定した。JTBは、サービス優秀な宿泊施設を毎年表彰することで、各施設の営業とサービスの向上を促し、宿泊産業全体の発展につなげたいとしている。

日本で唯一の銭湯の流し 江戸っ子の背中見つめて

5月31日8時41分配信 産経新聞

 ■橘秀雪さん(71)

 ランニングシャツに色落ちした青の短パンがいつものスタイル。入浴客よりひと回り大きなピンクの風呂おけと、黄色のあかすりタオルを抱えている。

 江戸時代には「三助」と呼ばれた。もともと銭湯には客の背中を流す湯女(ゆな)と呼ばれた女性がいたが、風俗的性格が強くなったため、男性に変わった。流しや肩こりのマッサージだけでなく、湯加減調整や番台業務など3つ以上の役割があったから-といったいわれがあるという。

 今やその伝統をただ一人守っている。昭和28年春、中学卒業後の15歳で富山県氷見市から上京し、同郷の縁を頼って世話になったのが、現在の職場でもある東京都荒川区東日暮里の銭湯「斉藤湯」だった。以来、50年以上にわたって客の背中と付き合ってきた。

 「地元では長男以外、働けるところがなかったからさ。ほかの仕事なんて、考えたこともないよ」

 昭和30~40年代前半にかけて、入浴料に追加料金を払う「流し」はちょっとしたぜいたくで、大工の親方ら江戸っ子の粋な振る舞いの一つだった。チップを弾む常連客も珍しくなく、次第に「流し」専門の人が増えたという。

 「あちらこちらに待合所のようなものがあって、人手が足りないときは助っ人が呼ばれてくるほどだった。『流し』にマニュアルなんてものはないから、見習い仕事の合間を見つけて、先輩のやり方を見よう見まねで覚えていくしかなかったね」

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 わが国で唯一の“技”を味わってみようと、入浴料450円とは別に400円を番台に支払い、「ながし 斉藤湯」と書かれた木札を受け取った。浴槽で体を温め、教えられた通りに木札を鏡に張り付けて、しばらく待つと奥の扉が開き、丸刈りの顔をニコニコさせて近づいてきた。

 「待たせたね。悪いね」

 一声掛けると、おもむろにあかすりタオルにせっけんをすり込ませ、中腰で背中や腕をこすっていく。おけにためた湯をザバーッと掛け流せば、こすられた部分が赤く変色していて、力強さが伝わってくる。

 「一昔前は木おけとヘチマのたわしを使っていたけど、手に入りにくくなったからね。あかすりタオルは便利だよ」

 続いて、マッサージ。湯で温めたタオルを肩に掛け、独特のリズムで肩や背中のつぼを押し、腕をもみほぐしていく。トン、トン。グッ、グッ。グリグリ-。体が慣れていないせいか、正直、気持ちいいというよりも痛みを感じた。

 「今の人は体が全然こっていないよね。機械仕事が増えたからさ。昔は朝から晩まで肉体労働をしてくるから、『腰が痛い』『肩をもんでくれ』『もっと強く』と一人ひとり細かい注文が飛んだもんだよ」

 ひたすら背中や肩を押し続けてきた指の先端はくぼみ、手のひらの血管は浮き立ち、全体が鬱血したように赤黒く染まっていた。

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 自宅は斉藤湯とつながっている。風呂はない。次男の昌幸(33)は幼少のころ、3つ上の兄と毎日、斉藤湯に通った。「父はいつも見ず知らずの人の背中を洗っていて、気軽に声を掛けられる雰囲気ではなかった。父と風呂に入った記憶はないですね」

 都内の銭湯はピーク時の昭和43年には約2700軒あった。当時の家庭の浴室普及率は5割に満たなかったが、昭和の終わりには8割近くにまで上昇。銭湯から客足は遠ざかり、現在は865軒にまで落ち込んでいる。

 かつては、一人前の流しになれば、のれん分けされ、風呂屋の主人として独立するチャンスもあったが、そうした道はすでに閉ざされていた。仕事の質も大きく変わり、湯を沸かして、火加減を調整するのはボイラーに取って代わられ、「流し」ができる人も次々と消えていった。

 斉藤湯も、時代の流れには逆らえない。休日に「流し」目当てで地方から足を運ぶファンも少なくないが、平日は自宅で妻の介護をしながら、声が掛かるのを待つ時間が増えた。「今は1日4、5人。多くても10人ぐらいかな」。にこやかな笑顔の奥にさびしさがのぞいた。

 パンッ、パパン、パンッ-。手のひらをくぼませ、背中を数回たたく音が浴場に響き渡ると、終了の合図。「いいですか」。最後まで優しい語り口にこちらの表情も自然と緩んだ。

 斉藤湯3代目の斉藤勝輝(64)は言う。「体力が続く限り、続けてほしい。それまではこちらも頑張りたい。『流し』が終わるときは、この店を終えることを考えないといけないだろうね」(敬称略、伊藤真呂武)