日本人最長となる163日間の宇宙滞在を終え、6月に帰還した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野口聡一宇宙飛行士(45)が16日、帰国した。国際宇宙ステーション(ISS)では維持管理任務の傍ら、科学実験も担当した。本紙環境面の連載「未来みつめて~宇宙と南極から」(10年2~5月、計5回)を共同執筆し、南極昭和基地に滞在中の工藤栄・南極越冬隊長(47)と、極限環境での生活や地球への思いを、紙上で語り合った。【構成・西川拓】
◇違った表情10万枚撮影--野口さん
◇未知の自然解く面白さ--工藤さん
--お二人の近況を教えてください。
野口 宇宙に行く前は「半年間(の滞在)は長いかな」と思っていたのですが、行ってみるとあっという間でした。今回の長期滞在は、普段の生活をうまく宇宙に持って行くことができ、あと2、3カ月いても大丈夫だと感じました。帰還後は、無重力の宇宙滞在中に衰えた筋力や骨量を元に戻すためのリハビリテーションや医学検査、ISSの技術的な問題を話し合う会議など、予定に追われています。
工藤 南極は数日前まで、一日中太陽が昇らない「極夜(きょくや)期」でした。極夜期は天候が良ければ日中の2~4時間は薄明るいので、屋外での観測や作業も何とかこなせますが、昭和基地内に閉じこもることが多くなります。気分が落ち込まないよう、この時期に「極夜祭」を開くのが越冬隊の伝統。氷点下30度の屋外で露天風呂に入ったり、調理隊員が腕を振るったフルコース料理を食べ、演芸大会や綱引きなどのスポーツできずなを深めました。野口さん、ISSでの食事はいかがでしたか。
野口 ISSではフリーズドライの食べ物が中心で、たまにリンゴやトマトなどの生鮮食料が補給船で届くと大喜びで食べていました。栄養的にはフリーズドライで十分満たされるのですが、やはり新鮮なものを食べることは大事だと感じました。
工藤 昭和基地では葉ものの野菜を水耕栽培で育てていて、食卓に彩りを添えてくれますが、キュウリやトマトなどが恋しくなります。「地球に帰ったらすぐ食べたい」と思ったものは?
野口 05年の初飛行は約2週間でしたが、「帰ったらすしが食べたい、そばが食べたい」と強烈に思いました。今回はそれほどでもなかったのですが、カザフスタンに着地した直後に渡されたリンゴはおいしかったな。地球に帰ってきたんだと思いました。
--ISSではお酒も飲めません。
野口 行く前はどうなるのかと心配でした。成人して以来、半年間もお酒を飲まなかったことはありませんから(笑い)。でも、最初の1週間を乗り切れば、慣れるものです。ところで、90分で地球を一周するISSでは45分ごとに昼夜が入れ替わりますが、極夜の昭和基地はずっと夜ですよね。逆に夏の白夜(びゃくや)だと一日中昼。体調に影響はないのですか。
工藤 極夜、白夜はそれぞれ年間40日ほどです。極夜でも昼は薄明るいし、白夜でも夜は薄暗くなって、朝昼夜を感じることができます。どちらかといえば白夜の方が、屋外の活動時間が長くなり、疲れるせいか夜はぐっすり眠れます。極夜は体を酷使することが少ないので、睡眠リズムが乱れて不眠を訴える隊員も出ますね。今回、南極観測隊では毎晩見る夢を記録しています。「日本で見る夢とは違うかもしれない」という中高生の提案に応えたものですが、野口さんは宇宙では夢を見ましたか。
野口 地上にいるときと変わらなかったかな。ただ、半年もいるとISSでの生活もだんだんと古い記憶になっていきますから、宇宙にいる夢も見ました。
--同じ顔ぶれで長期間、閉鎖空間にいると、人間関係に影響したりしませんか。
野口 まったく見ず知らずの人と半年暮らすのは大変でしょう。しかし、幸か不幸か、長期滞在の訓練は3~4年かかります。その間は、寝食を共にするのに近い生活なので、気心が知れた仲になるのです。もしも組み合わせに問題があれば、訓練中に分かるんじゃないでしょうか。
工藤 大なり小なり気まずさは生じてしまいます。対人関係のストレスを減らすには、仕事がバランスよく割り振られ、南極の自然に触れる観測旅行などに参加できる環境を作ることだと思います。
野口 大航海時代などは2年も3年も同じメンバーで航海していた人たちがいたわけで、宇宙や南極が初めてではない。例えば火星に人間が行くことになっても、うまく乗り切る知恵は持っていると思います。
--野口さんは宇宙から撮影した地球の写真をツイッターで公開しました。
野口 ざっと10万枚以上撮影しました。そんなに撮るつもりはなかったんですが、行ってみると、地球は毎日毎日違った表情を見せるし、面白い景色があるんですね。それを地上の皆さんにもリアルタイムで伝えたいと思いました。でも、こんなに反響があるとは思いませんでした。毎朝、自分の携帯電話に(ツイッター経由で)地球の写真が届くことの意味は、予想以上に大きかったようです。南極にも、現地に行かないと分からないすごい景色があるのでしょうね。
工藤 技術の進歩のおかげで、美しい風景やオーロラなどもかなり克明に伝えられます。しかし、南極の冷たく研ぎ澄まされた空気の中で感じる風景は、写真や映像とは心の中への伝わり方が違うように思えます。ブリザード(雪嵐)の猛威、山を越えた瞬間、広がる大陸氷河の雄大さ、湖底に草原のように繁茂する植物の生命感などは、視覚だけでなく五感に訴えてくる。
--不便な思いや苦労をしてまで、なぜ人間は、宇宙や南極のような辺境に出かけていくのでしょう。
工藤 「なぜ山に登るのか?」に似た質問ですね。南極には未知の自然がまだまだ数多く残っています。未知のものを探し、その不思議に触れ、解き明かすことに面白さを感じます。人間の心には、困難を努力と工夫で克服し、達成感を味わいたいという基本的な欲求があるのではないでしょうか。
野口 私自身は宇宙から地球を見たい、無重力での生活を体験してみたいと思いました。そして、外からじっくり地球を眺める経験は大きかったです。目の前で回っている地球は、まるで一つの生き物のようでした。南極も同じでしょうが、新しい場所でいろいろなものを見てみたいという好奇心は人間ならではのもの。そして、新しい場所から従来とはまったく違う視点で、科学の発展や技術の開発に挑戦し続けることこそが、人類の抱えるさまざまな課題を解決することにつながると信じています。
◇163日間の滞在 ISSで山崎さんと対面
野口さんは09年12月21日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からロシアのソユーズ宇宙船で打ち上げられた。ソユーズは23日、ISSにドッキングした。
日本人最長となった163日間の宇宙滞在で、エンジニア出身の野口さんが「ハイライト」と振り返るのは今年3月、ISSの日本実験棟「きぼう」のロボットアームに、「指」に相当する精密作業用の小型アームを取り付けたことだ。これできぼうの性能がフルに発揮できる環境が整った。野口さんは毎日新聞への寄稿で「日本の技術レベルの高さを示せた」とつづった。
4月には、米スペースシャトル「ディスカバリー」でISSを訪れた山崎直子飛行士(39)と宇宙で対面。複数の日本人が宇宙に同時滞在するのは初めてだった。「日本人がどんどん宇宙に出て行く時代になった象徴的な場面だった」と野口さん。
滞在中はISSの維持管理のほか、材料科学や生命科学の実験を担当。無重力環境が人間の位置感覚や距離感覚に与える影響を調べる医学実験の被験者になったほか、公募で選ばれた「おもしろ宇宙実験」も積極的にこなした。
6月2日、ソユーズ宇宙船の帰還カプセルに乗ってカザフスタン中央部の草原に着陸。「ハッチを開けたとたん、草のにおいが入ってきた。地球の空気はおいしい」と、恒例として渡されたリンゴとともに、久しぶりの地球を味わった。
◇宇宙で毎日「つぶやき」 26万人が体感
◇ハイチ、メキシコ湾…災害写真もいち早く
野口さんは宇宙滞在中、自身の簡易ブログ「ツイッター」(http://twitter.com/Astro_Soichi)にほぼ毎日のペースでコメントや写真を投稿した。今も続けている。
「フォロワー」と呼ばれる閲覧者は全世界の26万人以上に達し、米メディアから「スペース・ツイッター・キング」(宇宙のツイッター王)の「称号」を贈られた。
「朝から忙しく労働中です」など、分刻みのスケジュールで過ぎていくISSでの暮らしを、暇を見つけては発信。中でも、ISSから撮影した地球の写真は人気を呼んだ。アンコールワットやモンサンミシェルなどの世界遺産に加えて、名もない島、海や雲が形作る絵画のような造形を、400キロ上空から狙い続けた。
ハイチ地震(10年1月)、メキシコ湾での原油流出事故(同4月)など、災害現場の様子もいち早く掲載。「がんばれ、宮崎!」というメッセージとともに、口蹄疫(こうていえき)に見舞われた宮崎県を撮影した写真には「早く終息しますように」などの応援コメントが数多く寄せられた。
「45分後に新潟県、山形県、福島県(の上空)を通過します」と予告したり、被写体の地名を当てるクイズを出題するなど、閲覧者とのコミュニケーションを意識した情報発信で人気が定着した。
野口さんは5月8日の書き込みに「地球は、圧倒的な存在感と奥深い暖かさを感じさせる生命体です。毎日毎日、どうしていままで気がつかなかったのかと思わせるような、新しい美しさを感じさせてくれます」と、地球への思いをつづっている。
◇次の飛行士は…… 来春、古川さん 12年夏、星出さん
野口さんに続き、11年春から古川聡飛行士(46)・西川撮影▽12年初夏から星出彰彦飛行士(41)・NASA提供=がそれぞれ半年間、ISSに滞在する。古川さんは初の宇宙飛行。星出さんは08年の米スペースシャトル「ディスカバリー」搭乗に続き2回目だが、長期滞在は初めて。
スペースシャトルが来年2月の飛行を最後に退役するため、両飛行士はロシアのソユーズ宇宙船で往復する。その後も1年半に1人程度の頻度で、日本人飛行士がISSに長期滞在する計画だ。
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■人物略歴
◇のぐち・そういち
65年、横浜市生まれ。東京大大学院工学系研究科修士課程修了。石川島播磨重工業(現IHI)のエンジニアから96年、宇宙飛行士候補に選抜された。05年7月、米スペースシャトル「ディスカバリー」で初の宇宙飛行。昨年12月から今年6月まで、若田光一飛行士に続く日本人2人目の長期滞在者として国際宇宙ステーションで生活した。
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■人物略歴
◇くどう・さかえ
63年、秋田県山本町(現三種町)生まれ。東京大大学院理学系研究科修了。現職は国立極地研究所准教授。専門は、南極の湖で発見されたコケや藻類などの植物生態系の研究。南極観測隊への参加は、98~00年の第40次隊を皮切りに今回で7回目。来年2月まで昭和基地に滞在し、隊長として28人の越冬隊員を取りまとめる。