「移植はしない」。そんな選択をして娘が5歳で亡くなって、まもなく1年になる。
関東地方に住む女性(38)が初めて娘に異変を感じたのは、2004年8月。生後1カ月が過ぎ、お宮参りから帰った日の夕方だった。
お風呂場の夫(42)から娘を受け取り、胸に抱いた直後、力が抜けたように娘の目がスーッとより目になった。
「すぐに大きな病院に行ってください」。かかりつけ医のすすめで、地域の拠点病院の救急外来へかけ込んだ。
採血の針が入っていかず、X線撮影しかできなかった。それでも、小さな体には、血中の酸素の濃度をはかるモニターなどがつながれた。待合室からは、看護師が診察室にあわただしく出入りする様子が見えた。
しばらくして診察室に入ると、救急外来で最初に診察した人とは別の医師がいた。
「落ち着いて聞いて下さいね。心臓が止まる寸前なんです。うちでは手に負えない。救急搬送先をなんとか見つけます」
前日の夜、おしっこが少ないような気はしていた。母乳を飲む量も減っていた。産後の乳児健診では、心臓の雑音は指摘されたが、そこまで悪い状態とは、思っていなかった。
東京女子医科大(新宿区)への搬送が決まった。車の振動を受けただけで、心臓が止まる危険があった。それでも娘はずっと目をぱっちりと開けていた。「生きる力だね」。救急隊員がつぶやいた。担架の移動にも気をつかいながら、午後10時ごろ、病院についた。
1~2時間後、検査結果が出た。娘の心臓には、拡張型心筋症や肺動脈の異常など、複数の大きな病気があった。
「生まれる前に亡くなることも珍しくないし、生まれてもすぐ亡くなることが多い状態なんです」。医師は言った。
その晩は夫と二人、一睡もせずに病院で過ごした。翌日、入院の準備のために一時帰宅してからも、涙がとまらなかった。
「娘は死んでしまうんだ」
集中治療室(ICU)で、娘はいくつもの医療機器に囲まれていた。泣くだけでも心臓に負担がかかるため、薬の力で眠っていた。いつもの柔らかい表情は消えていた。
結婚して7年で授かった待望の赤ちゃんだった。「あきらめるなよ」。夫の声にうなずきながらも、絶望感で立ち上がれなかった。