【光太郎と智恵子最後の旅】(上)何思い故郷の湯めぐりへ

1月14日8時3分配信 産経新聞

 ■芸術と家庭板ばさみの日々

 彫刻家で詩人の高村光太郎は昭和8(1933)年8月25日の午後、妻、智恵子を伴い、福島県猪苗代町の川上温泉を訪れた。智恵子の実家の菩提(ぼだい)寺、満福寺(当時安達郡油井村、現二本松市)に墓参した後、足を向けたのだった。翌月にかけ、合わせて4つの温泉をめぐる旅の始まりだった。

 智恵子はこのとき47歳。2年前から、精神に変調をきたしていた。光太郎はどんな思いで、温泉めぐりをしたのだろうか。

 智恵子の顕彰活動などをしている二本松市の市民団体「智恵子の里レモン会」の渡辺秀雄会長は「智恵子の病気が悪化してくるのを心配してのことだろう。智恵子は1年のうち4カ月ぐらい実家に帰って静養すると、元気になって帰ってくるというのが続いていた。それで、ふるさとに連れていけば、回復するのではと期待していたらしいですね」と語る。

 『智恵子抄』にみられるように、光太郎の智恵子に対する愛情は痛々しいほどだ。智恵子の精神が崩壊しつつあるのを目にして、光太郎は何とかしたいともがいていたのではないか。

 実は、猪苗代町のほかに、福島市の土湯の奥にも川上温泉がある。だが、研究家は、『山麓(さんろく)の二人』という詩を根拠に、2人が行ったのは猪苗代町の方とみている。

 智恵子が「わたしもうぢき駄目になる」と慟哭(どうこく)する『山麓の二人』の1行目は「二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は」となっている。この情景を奥土湯から望むことはできない。裏磐梯を訪れたことがない者にはできない表現だ。光太郎が智恵子と連名で、智恵子の母、長沼センあてで出したはがきにも「磐梯山下の川上温泉に投宿」とある。

 光太郎と智恵子は「滝の湯」に泊まったとみられている。滝の湯は既に廃業、跡形もなくなっているが、近くに経営者だった磯谷吾妻さんが住んでいた。

 磯谷さんは「明治21(1888)年の磐梯山の大爆発で、このあたりはみんななくなった。祖父が大正初期に滝の湯を作った。当時(高村夫妻が来たころ)は滝の湯1軒だけだった。来る人は大抵、うちへ泊まった」「ここから登っていくと、磐梯山の火口のところに出る」と説明してくれた。

 川上温泉は、磐越西線から約12キロもある。病人の智恵子が歩いたとは思えない。以前、川桁(かわげた)駅から北東部にあった沼尻鉱山までは、硫黄を運ぶ軽便鉄道が走っていた。「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」の安部なか事務局長は「周辺住民や温泉客らが乗っていた。高村夫妻は名家(みようけ)停留所で降りて、タクシーか馬車を頼んで、川上温泉まで行ったのではないか」と推測する。

 智恵子の精神に引き金を引いた原因は何だったのだろう。

 「芸術家同士の夫婦だから、どっちかが自分の芸術に対する時間を犠牲にして家事をしなければならず、どうしてもそれが女性の方にかぶさってくるということが当然考えられる。やりたいができないという精神的な相克が原因だという人もいる。それから、実家が昭和4年に破産した。これが大きく響いているのではないかというとらえ方もある」と渡辺会長。

 光太郎も『智恵子抄』(新潮文庫)に収められている「智恵子の半生」の中で、「(智恵子は)結婚後も油絵の研究に熱中していたが、芸術精進と家庭生活との板ばさみとなるような月日も漸(ようや)く多くなり、(中略)後年郷里の家君を亡(うしな)い、つづいて実家の破産に瀕(ひん)するにあい、心痛苦慮は一通りでなかった」と記している。

 だが、心の裡(うち)のこと。断定は難しい。

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 高村光太郎・智恵子夫妻は昭和8年の8~9月、福島、宮城、栃木3県を訪ね、4つの温泉を回った。智恵子の療養のためだった。しかし、病状はその後さらに悪化。この温泉めぐりは2人にとって、旅らしい旅としては最後になった。2人の旅程をたどった。(土樋靖人)

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 ■高村光太郎 明治16(1883)年、東京生まれ。父は彫刻家の高村光雲。代表作に、十和田湖畔に建つ「裸婦群像」など。詩集には『道程』『智恵子抄』などがある。昭和31(1956)年没。

 ■高村智恵子 明治19年、福島県安達郡油井村(現二本松市油井)の造り酒屋、長沼家の長女として生まれる。福島高等女学校、日本女子大家政科卒。44年、平塚らいてうらが発刊した女性誌『青鞜』創刊号の表紙絵を描く。大正3(1914)年、光太郎と結婚。昭和10年に南品川ゼームズ坂病院入院後は紙絵に没頭する。13年、粟粒性結核で死去。

 ■川上温泉 磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インターチェンジから車で約30分。民宿やペンションなどが点在する。磐梯山への登山口があり、近くには磐梯山の爆発でできた五色沼や桧原湖などの湖沼が多い。

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