3月13日11時1分配信 毎日新聞
北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを住民らが求めた訴訟の控訴審判決が18日、名古屋高裁金沢支部である。停止を命じた衝撃の地裁判決から3年。今も原発53基が稼働し、消費社会を支える現実は変わらない。日々大量の電力を消費する中、誰がリスクを背負っているのか。原子力と暮らすことの意味を知りたいと思い、六ケ所村を訪ねた。【北陸総局・澤本麻里子】
◇「核燃」反対し帰郷した農家 無力感…だが行動続け
突風が雪を巻き上げ、一瞬で視界を遮った。視線の先には、白くて無機質で、巨大な建物群。日本原燃の核燃料サイクル施設で、核のごみ集積地だ。
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観光農園「花とハーブの里」は、施設の風下にある。経営者の菊川慶子さん(60)が迎えてくれた。
農園は、両親から受け継いだ実家近くの3ヘクタールほどの畑。冬を除き、農業体験をしてもらうために開放し、泊まり客に自慢の野菜を振る舞っている。
根っこにあるのは、無駄を省く生活だ。太陽熱温水器で風呂を沸かし、調理はまきストーブを使う。夫に先立たれ、子供たちも大きくなった。独りになると、自然のリズムに沿った生活がしっくりするとつくづく思う。まきストーブの横で、ネコたちが気持ちよさそうに丸まった。
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集団就職で村を出た。結婚し、関東に住み続けたが、1986年のチェルノブイリ原発事故が人生を変えた。プルトニウムの半減期は2万4000年--。故郷の核燃施設が気になった。「何かしないと」。太陽や地熱エネルギーの技術発展に力を注ぐ道があると思い、90年3月に一家で帰郷した。
村は、今もしこりが残る核燃反対派同士のいさかいのまっただ中だった。そのまとめ役を買って出た。91年9月、ウラン濃縮用の六フッ化ウランが初めて運び込まれると、1カ月間の抗議のキャンプへ。だが、92年のウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター稼働、04年の再処理工場建設と既成事実が重ねられ、反対運動はしぼんだ。
運動と同時に始めた無農薬野菜でも思い知らされたことがある。収穫した野菜の販売を生協に初めて頼んだ時、電話の向こうでいぶかしげに問われた。「六ケ所の野菜?」。やはり、みんな怖いのだ。
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反対運動の仲間たちは、他県から訪れる。畑で穫(と)れた色とりどりの野菜を口にしながら、核燃料サイクル施設を話題にする。「ごみ捨て場が決まっていないのに計画を進めて、子供たちに押し付けている」。話は自然と熱を帯びる。
今年1月、再処理工場内で高レベル放射性廃液の漏えい事故が起きた。菊川さんたちは先月18日、抗議と再処理事業撤退を求める申し入れ書を抱え、日本原燃へ向かった。何を言っても変わらないという無力感が残るが、続けることに意味があると思っている。
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核燃料サイクル施設の広報担当者に言わせると「この村は農業に向いていない」そうだ。菊川さんは今年の夏、ルバーブというハーブを使ったジャムを売ろうと考えている。本当に農業に向いていないのか、その傲慢(ごうまん)とも思える問いへの挑戦だ。大地の恵みを自分だけでも守っていきたいと思っている。
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◆志賀原発2号機訴訟
金沢地裁は06年3月、国の耐震指針を否定して商業原発では初の運転差し止めを命令。判決後、原子力安全委員会は新指針を策定しており、控訴審が新指針と、新指針に基づく北陸電力の耐震安全性評価の妥当性をいかに判断するかが注目される。