小学5年生のとき、香奈(18)はアマ女王戦に出場して優勝しました。そして、女流棋戦のレディースオープントーナメントにアマ代表として出場したとき、日本将棋連盟の女流育成会の幹事の方から声がかかり、小学6年生の秋から通わせていただくことになります。
そこで、島根・出雲発の深夜バス「スサノオ号」で、東京まで通います。
土曜日、学校が終わって夕食を取り、夜7時10分に出雲市駅前を出発。約11時間かかって午前6時ごろ渋谷に到着、渋谷・千駄ケ谷の将棋会館に向かいます。日曜日に対局をして、そのまま午後8時ごろ渋谷をたち、月曜日の朝7時に出雲へ。それからお風呂に入って登校です。
バスのなかでは詰将棋なんかを解いたりもしていましたが、あの子はすぐ寝ちゃいます。どこでもしっかり寝られるんです。この特技も、香奈の「武器」ですね。いつも私(48)か父親の彰(48)かが付き添って行ったのですが、どっちも何度か目が覚めてなかなか熟睡できませんでした。
もっとも、香奈は香奈なりに努力していたんです。「東京に行くために、体力をつけないと」と言い出し、中学に入ると卓球部に入部しました。運動神経はいいほうだから、県大会まで進んだこともあります。
松江で大会があったときなんか、夜行バスを途中で降り、先生に迎えに来てもらって試合に駆けつけたこともありました。あの子、性格的に負けず嫌いで、部活でも将棋でも勝ちたかったようです。
「この子、プロとしてやっていけるんじゃないかな」と思ったのは、女流育成会に通っているころです。将棋、卓球、勉強と時間に追われている毎日を、自分なりにとても楽しんで生活しているように思えたからです。
そんな日々を、香奈は計画的に自分の生活リズムを作り、つねにマイペースで過ごしていました。私たちは、彼女の体調管理に気をつけるぐらいでした。
女流育成会を無事1年で終え、中学1年生の10月にプロ、女流棋士になることができました。当時、史上4番目の年少記録と言われ、私のほうがびっくりしたくらいです。(聞き手・石川雅彦)