12月16日8時1分配信 産経新聞
岩手・宮城内陸地震で被災した岩手県一関市、宮城県栗原市は東北有数の温泉地。地震から半年がたち、両地区では温泉再興に向けた動きが本格的に始まった。源泉や施設への被害、「あの辺は危険」という風評、復旧を妨げる降雪…。度重なる苦難にめげず、力強く立ち上がった人々の支えは、家族や友人、同業者との強い“きずな”だ。地震の影響で休業中の一関市厳美町「祭畤(まつるべ)温泉」を再興に導く、姉弟や従業員のきずなとは-。(渡部一実)
8日夕、祭畤温泉の旅館「かみくら」に、リサイクル業者から届いた流し台、ガスコンロが次々と運び込まれた。「そっち段差あるよ。気を付けて!」。31日からの営業再開が決まり、社長の佐藤奈保美さん(42)の声は明るい。
同館は今年1月、日帰り温泉としてオープン。4月から宿泊客を受け入れ始め、客足が順調に伸び始めた矢先、岩手・宮城内陸地震に被災した。開業、被災、休業、再開…。激動の今年1年、佐藤さんの心の支えはパラオ在住の実弟、菅原勇哉さん(38)だったという。
もともと、佐藤さんに祭畤温泉の経営を勧めたのは勇哉さんだった。一関市東山町で180年続く老舗旅館に生まれた2人。佐藤さんは実家を継ぎ、勇哉さんは南国パラオで観光事業を始めたが、平成14年夏、一関市で大規模な水害が発生。実家の旅館は休業に追い込まれた。
「ご先祖様から続いた旅館を、私の代でつぶすわけにいかない」。再起を模索する佐藤さんに、勇哉さんがこんな話を持ち込んできた。「祭畤温泉に廃業した旅館がある。跡地で南国野菜の自然農園を作る計画があるが、頓挫しそうだ。そっちの旅館をやってみないか」。
実家の再興か、新天地での再出発か-。迷う佐藤さんの背中を押したのは、祭畤温泉の魅力だった。厳しくも美しい大自然と、大木を使ったぬくもりある宿。神が降臨する場所、と古くから伝えられる山々の神々しさ。「ここで踏ん張っていこう」。その覚悟を示すように、佐藤さんは新しい旅館に「かみくら(神座)」と名付けた。
オープンの喜びもつかの間、地震で市街地から祭畤に通じる国道342号「祭畤大橋」が崩落し、地域は孤立状態に。旅館の床は波打ち、窓ガラスは吹っ飛んだ。「映画のセットかと思った。現実のできごととして受け入れられなかった」と佐藤さん。
温泉再興への最大のネックは「電気」だった。6月下旬、祭畤への迂回(うかい)路が完成し、旅館に戻れるようになった。だが市の復旧計画では、通電は祭畤大橋の仮橋完成後の12月。電気がなければ旅館に入れても補修工事はできず、源泉の被害も確認のしようがない。「どうしたらいいのか」。思い悩む佐藤さんに、勇哉さんがまたしても“援護射撃”をした。
被災後、勇哉さんは岩手のFM局が企画した「海外で活躍する岩手人特集」に出演。電波を通じ「仮橋よりも先に電気を」と訴えた。歩調を合わせるように、佐藤さんも行政への陳情を本格化。結局、通電は前倒しされ、8月8日、旅館に再び明かりがともった。源泉も無事で、佐藤さんは「『希望』という言葉の意味をあれほどかみしめたことはない。力がもりもりわいてきた」という。
“元気のもと”はもう1つ。従業員や故郷・東山の人々の優しさだ。
営業再開の見通しが立たずにいた被災直後、佐藤さんはやむなく従業員を全員解雇した。だが、解雇後も元従業員らは自主的に旅館の補修を手伝い、板前2人も「社長が『やる』というならいつでも戻るよ」。そんな従業員らの姿をみて、佐藤さんは「あの人たちともう一度働きたい」。旅館の再興を改めて誓ったという。
生まれ育った東山では、友人らが声をかけ合い、新年の宴会や宿泊の予約を入れてくれた。「温泉旅館はほかにいくらでもあるのに…。『頑張って早く再開しろよ』というメッセージなんでしょうね」(佐藤さん)。
弟や従業員、友人に支えられながら、温泉の再興に向け東奔西走する佐藤さん。その熱意が通じたのか、11月末には祭畤大橋の仮橋が開通、付近での車両の通行が可能になった。
今、旅館には、営業再開について問い合わせの電話が相次いでいる。「はい、かみくらでございます」。そういって受話器を取る佐藤さんの声は、心なしか弾んでいる。