【特報 追う・地震半年】(下)「秘湯守る」再興の“同志” 栗駒山麓

12月17日8時3分配信 産経新聞

 ■共存共栄 行政に働きかけへ

 宮城県栗原市の栗駒山麓(さんろく)に点在する5つの秘湯、湯浜温泉、温湯(ぬるゆ)温泉、駒ノ湯温泉、湯ノ倉温泉、くりこま荘。いずれも地震で施設や源泉に被害を受けたが、ここに来てようやく復活の兆しが見え始めた。4日には湯ノ倉を除く4湯の経営者が集い、廃業しないことを“約束”。今後、湯ノ倉も含めた5湯がそろって再興を目指すという。それぞれ被害状況や将来の見通しに隔たりはあるが、それを埋めるほど“同志”のきずなは強く、深い。(渡部一実)

 4日、栗原市内の喫茶店に湯浜温泉の三浦治さん(54)、くりこま荘の菅原次男さん(67)、駒ノ湯温泉の菅原昭夫さん(53)らが顔をそろえた。「今後どうしよう」。互いの被害状況を知り、温泉再興の意志があるかないか、確認するためだった。

 会合を呼びかけたのは三浦さんと次男さん。両温泉とも建物の損傷はほとんどなく、源泉被害には新温泉を引くなどして対応済み。1日も早い営業再開を望んでいた。

 「やるなら5軒そろってやりたい。1軒でも欠ければ本当の復興にはならない」-。そう考える2人。最も気にかけていたのは、駒ノ湯の昭夫さんの動向だった。「彼は『自分の宿で犠牲者を出した』という自責の念が強い。再開に『うん』というだろうか」。

 駒ノ湯温泉は土石流に押し流され、5人が死亡、2人が行方不明のまま。7月末、記者会見した昭夫さんは「源泉も土砂に埋まり、もう一度やろうという気にはならない」。事実上の“廃業宣言”をしていた。

 そんな昭夫さんを説得する-。三浦さんと次男さんは情理を尽くした。「駒ノ湯は栗駒の秘湯のシンボル。歴史を絶やすのは惜しい」。「結局、宿屋は宿屋でしか飯が食えないんだよ」。さらに「『やる』と意思表示すれば駒ノ湯に工事が入る。(中断された)行方不明者の捜索再開につながるんじゃないか」。そして「1人じゃない。一緒に立ち上がろう」。

 じっと耳を傾けていた昭夫さんは、最後にはこう応じたという。「分かった。やる方向で考えたい」。

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 ゆっくりと回り始めた温泉再興の歯車-。その潤滑油は、人々を結び付けるさまざまな“縁”だった。

 三浦さんは昭夫さんと同じ高校で、同じ山岳部の1年先輩。誕生日も1年違いの同じ日だ。温泉宿に生まれ育った境遇も似ており、「兄弟のようなものだった」(三浦さん)。日ごろから交わしていた電話やメールが、被災後さらに頻繁になったのは言うまでもない。

 次男さんも昭和44年に「くりこま荘」を開業する際、昭夫さんの両親の薫陶を受けた。山荘経営のノウハウに始まり、山菜料理の作り方、客に対するもてなし…。温泉がなかったくりこま荘のため、源泉を1つ貸してくれたのも駒ノ湯だった。「彼らがいなければ私はいない。今こそ長年の恩返しがしたい」と次男さん。

 「平成の大合併」も温泉同士の結び付きを強めた。5つの温泉は駒ノ湯、くりこま荘が旧栗駒町、温湯、湯浜、湯ノ倉は旧花山村と別れていたが、平成17年4月、両町村などが合併し栗原市が誕生。自治体が統合されたことで温泉関係者の“垣根”も取り払われ、連携がより緊密になったという。三浦さんは「頭上に同じ栗駒山をいただく者同士。今後は歩調を合わせ『五湯の会』としてやってゆきたい」と力を込める。

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 再興に向けた当面の課題は、「土砂ダム」の撤去と寸断された道路の復旧だ。

 「物理的な復旧は行政の仕事で、われわれにできることは要望、陳情しかない。だからこそ個人で動くよりも、5軒がまとまって団体で動くべきだ」と三浦さん。

 復興が具体的に進むにつれ、被害の多寡などから、5軒の考え方に“温度差”が生じるおそれもある。だが、三浦さんは「みんなずっと共存共栄でやってきた。そのきずなは地震で壊れるほどやわじゃない」。そしてこう語気を強める。「『見切り発車』といわれようが、今は動かないと何も始まらない」。

 三浦さんらは年明け以降、定期的に会合を開催。各温泉の要望をまとめ、行政への働きかけを本格化させる予定だ。

 地震から半年-。栗駒山を覆っていた木々の緑は真っ白な雪に変わった。だが、山奥の秘湯を守り続けたい、そんな“湯守”たちの思いに変わりはない。

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