12月26日13時1分配信 毎日新聞
◇客離れ、後継者もなく “逆転”へ盛り返す若手経営者
名張市の老舗銭湯、常盤湯が10月末に廃業した。市内最初のアーケード街、サンロード商店街にあり、明治20年ごろ開業。庶民の憩いの場として長年親しまれてきたが、客足が遠のき、3代目の吉野賀千さん(76)はのれんを下ろした。長年通った近くの地方公務員は「うちの風呂同然でした」と惜しんだ。市内の現役銭湯はこれで2軒となった。
伊賀市でも廃業が相次ぎ、一昨年1軒、昨年は2軒が営業をやめた。ピーク時に20軒あった銭湯も今や5軒。旧上野中心市街地は城下町として発達したため、かつては長屋が多く、ほぼ町ごとに銭湯があった。しかし、アパートやマンションが取って代わり、風呂付き一戸建てが主流となった。
浴場組合は客離れを食い止めようと、料金を据え置く努力を続けているが、ある経営者は「値上げしたところで、もうけには程遠い」と顔を曇らせる。
利益が出なければ、後継者確保もままならない。大半の銭湯経営は高齢者に支えられており、廃業は経営者の病気と後継者不在が重なったケースが多い。長年、番台を守っている女性は「主人か私が倒れたら、閉めななりません」と話す。
展望が開けない銭湯業界だが、曙光(しょこう)も見えてきた。伊賀市上野西日南町の一乃湯は4月、中森秀治さん(52)が3代目に就いた。20年続けたサラリーマンを辞め、父からのれんを引き継いだ。
全国で年間300軒が廃業しているこの業界。「食っていけるのか」と不安だった。しかし、神社仏閣様式の本格木造建築や透かし欄間、陶器製コンセントなど、大正15年の開業当時の姿がそっくり残るすべてが財産、と気付いた。
富士山のタイル絵を復活させ、駐車場に時代劇映画のポスターを描き、レトロ調をさらに打ち出した。一方、不慣れな若者に配慮し、脱衣場につい立てを設けるなど、今を見据えた改革も忘れない。
さらに、外観や内装、小物類をカラー写真に収めたリーフレットを3000部作製。土産物店や宿泊施設に置いてもらったところ反響があり、観光客や若者が増えている。
「生活の一部だった銭湯も今は非日常の世界。家族で楽しめる、一番金のかからないレジャーですよ」。中森さんはこう話し、来年からさらなるファン獲得に乗り出す計画だ。
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「銭湯すたれば人情もすたる」
北陸で銭湯巡りをしていたころ、脱衣場でよく見かけた田村隆一の詩の一節。同感だ。人情の機微だけでなく、傍若無人なよその子をしかり、長幼の序を教える。そんな場所があってよい。湯はもとより、人のぬくもりを求めて……。それが銭湯ではないだろうか。【渕脇直樹】
〔伊賀版〕