2月16日15時24分配信 サーチナ
世界的に株価が急落を続け、金融市場には不穏な空気が漂っている。では、ロシアの一般人の危機感はどれほどのものだろう? 「97年のような事態が再来するかもしれない」「何かとんでもないことが起こるらしい」、そんなうわさも飛び交う中で、大半の人の反応は「またか」といったところで、危機感はあまり感じられない。
社会調査によれば、2007年の時点で人口の47%(2006年では37%)が「何らかの形」で余剰金を貯めておくに過ぎず、ほとんどの人が「余剰金が出ない」「貯蓄に意味がないと思う」との理由から、あるだけのお金をその時々に必要なものに使ってしまうからだ。まさに「宵越しの金は持たぬ」の世界である。
インフレ率20%の現状では当然であるが、銀行に貯金をするという人は11%、「タンス預金」が26%である。実感としては、もっと多くの人が貯蓄をしていないように見受けられる。収入の少ない人々だけでなく、かなりの収入を得ている家庭でも、多くが将来に向けての貯蓄をしない。
目下「お金には困っていない」という男性A氏(53歳)に話を聞いた。2つの都市で大学関係の仕事を掛け持ちしている彼の月収は約3万8千ルーブル。離婚して子供も独立し、現在は一人暮らしだ。銀行の口座にはその月々に振り込まれる給与のほかは一切なく、有価証券や貴金属、外貨などの形での貯蓄も一切していない。
しかしA氏のアパートには、自身の趣味という「ボンサイ」をはじめとする多くの観葉植物のほか、熱帯魚の大きな水槽が3つ並んでいる。家具類も真新しいものが多く、キャビネットには世界各地を旅行した記念のマグカップがずらりと並んでいた。
「カネはないけどモノはある」、というのが現代ロシアの多くの中流層の生活で、それは金銭に対する価値観の違いに由来しているように思われた。
A氏のアパートにて。ロシア製の「ボンサイ」。
和風のライトはロシアでも大人気の「IKEA」で購入したもの。
Q:どうして将来のために貯蓄をしないんですか?
A:したって意味がない。いつお金の価値が変わってしまうかわかったものじゃない。それから、今買っておかないと次にはなくなってしまうかも知れないという不安が付きまとっている。ペレストロイカのときには物不足でずいぶん悩まされた。だから、欲しいものや気に入ったものがそこにあって、財布の中にお金があれば迷わずすぐに買ってしまう癖がついた。
Q:定年退職した後や、病気や事故など万が一の場合にはどうするつもりですか?
A:住むところはあるからね、どうにでもなる。車もあるし、ダーチャ(ロシア式の別荘)もある。そして幸いなことに、定年退職の制度が大学にはない。働ける間は給料が入るから、大丈夫。怪我や事故の場合は親戚が助けてくれるよ。今もわたし自身が娘の家のローンを毎月1万ルーブルずつ払っているし、ペレストロイカなんかでお金も食べるものもなくて本当に困ったときは、父親が助けてくれた。
Q:今後、何らかの形で投資する予定はないですか?
A:余剰のお金で、新しい車や家具を買ったり、子供のために使ったりすると大した額は残らない。ユーロを買うとか、いろいろな方法があるんだろうけど、興味はない。とにかく大それた資産運用とか株とか、そんな面倒なものに手を出すくらいなら、好きなことに使ってしまったほうが気が楽でいいよ。親戚の中にもそういうことをしている人間はいない。いとこは30代でよく働いて余裕もあるし、小さな子供もいるけど、今度新しくダーチャとサウナを建てるんだ。今その手伝いにしょっちゅう借り出されている。子供にも残るし、そういう形でいいんじゃないかと自分も思う。自分のアパートもあるし、ダーチャもある、車もある。それで十分だと思う。
A氏のダーチャも並ぶ村落の一角
ちなみに、最近ではダーチャの形も多様化してきている。ソ連式の集団菜園版のダーチャは、簡素なつくりの小屋であり、夏場そこに何日か泊まることはできても、風呂・トイレ、ガスや水道設備も満足でない場合が多く、冬場は暖房がないため使用できない。一方で、新興別荘地には、御殿のようなダーチャも立ち並ぶ。
話を聞いたA氏が所有しているのは、農村の一軒家。御殿ではないけれども、水道や暖房設備があり、冬場でも生活可能な2階建て木造家屋と最近建てたばかりのサウナ小屋、それに付属した3ヘクタール程度の土地がある。
ロシアでダーチャやサウナ小屋を建てる際、日本と同じように建築家や大工に依頼することもあるが、自分たちで建ててしまうことも稀ではない。設計を自ら立て、必要な部分はプロに依頼するが、あとは親戚や隣人の手を借りて建ててしまうのである。例えば写真の家では、丸太の壁部分を専門家に頼んだだけで、後はすべて自分たちの手で建設中だという。
このように、親戚や隣近所とのつながりが「いざ」というときのロシア版の「備え」である。
建設中のダーチャに登って作業する未来の主人一家
現代ロシア社会においては、カネは財としてほとんど信用されず、その場限りのものという金銭観が強いように見受けられる。つまり、そこに弊害があることは言うまでもないが、今回お話を聞いて思ったことは、ロシア社会の一部には、財としてのカネの価値が欠落していても、あるいはそれだからこそ人間のつながりがそれを補いうる道徳律が生きているということである。
もっとも、A氏はインテリの恵まれた環境に生活しているからそれが言えるのであって、裏を返せば、例えばカネも不動産等の財産も持たぬままモスクワへ出稼ぎに出た人々の心許なさは計りがたい。(執筆者:二階堂イリーナ)