逆境魂が生み出した、“人間がウリ”のコールセンター

2月26日12時6分配信 Business Media 誠

郷好文の“うふふ”マーケティング:「コールセンター、“なんじゃそりゃ”という感じで始めたんです」

 朗らかに話すのは、DIOジャパンの小島のり子社長。2008年から開始した「お宿コールセンター」が旅館やホテルから好評だ。その販促パンフレットを見ると、「人件費の大幅な削減」「電話受付負荷の軽減」「利用客の囲い込み&リピーター化」「予約受付プロフェッショナルの対応」と、電話受付代行のコールセンターならどこでもアピールしそうなフレーズがならんでいる。

 だが、DIOジャパンのウリは単なる“電話代行”や“セールス代行”ではない。それはコストや効率一辺倒のコールセンターにはできない応対にある。“人間がウリ”なのである。

●ネットで完結できないことを人で埋める

 今どきの旅行では、宿の予約はネットが主体。部屋タイプや食事メニュー、料金など多くの情報が手軽に入手できるからだ。だが、「宿で失敗したくない」と考え出すと、もっと細かいことが気になる。例えば、宿周辺のお店情報、食事時間のフレキシブルさ、実際の部屋の眺望、寝具は敏感肌にやさしいか、大浴場がくつろげるのか、エステを予約できるか、英語が通じるかなど、知りたいことは山ほどある。そんな時にはどうするか?

 早道なのは、直接宿に電話して聞くこと。だが、朝のチェックアウト時間にかけようものなら、なかなかつながらない。夜間に電話すると予約係はすでに退社、事情に疎い担当者が出てきて答えは得られず、ということにもなりがち。フロント係や予約係は意外に離職率が高いため、“売る体制”を整えられない宿は多い。宿が予約機会を逃す実態がここに見え隠れする。

 DIOジャパンのお宿コールセンターは、宿泊施設の担当者さえ知らないような細かい情報までマニュアルに整理して問い合わせに応える。「ネットでは完結しないこと」「ネットにはない細かいこと」を提供する“セールスセンター”なのである。しかもその外注委託の時給換算額はわずか194.4円~222.2円(同社資料より)。“流通を上げること(売上増)”に自信があるので、小島社長は「定額契約よりも、成約ごとの成果報酬型の契約を勧めている」という。

●オペレーターの“3泊4日宿泊体験”

 「予約増=売上増」を支えるのは、手厚いオペレーター研修だ。話し方や地理の勉強に始まり、2カ月かける研修の仕上げは、担当する宿泊施設への“研修旅行”である。契約先のホテルや旅館に3泊して、「食べる」「飲む」「買う」を実体験して、隅々まで知り尽くす。だからこそ電話口で自信を持って語れ、予約率が高まり、単価も上がり、予約客満足度がアップするのだ(契約形態によっては3泊研修は無い場合もある)。

 オペレーターが予約を取れなかった時は、スーパーバイザーとその都度対応を反省。そして分厚いマニュアルを改善する。その積み重ねが流通を増やす裏付けとなる。低コストだけがウリになる苦情受付主体のコールセンターとは一線を画す事業モデル。そこに至る小島さんの軌跡には、実に熱いものがあった。

●高齢者・バリアフリー情報の提供が起点に

 振り出しは「人に優しい宿」というWebサイトの構築。これは全旅連(全国旅館生活衛生同業組合連合会)のWebサイトで、高齢者や障害者に優しい施設を紹介するものだ。ところがバリアフリー、アレルギー、点字など、旅館ごとの対応情報が乏しい。各旅館にアンケートして情報収集する過程で、「それなら電話予約受付で対応したらどうだろうか」と考えた。これがコールセンターを始めるきっかけとなった。

 そのコールセンターの成功から、昭文社にも旅情報月刊誌『たびえーる』で掲載した宿の予約受付をコールセンターで行うことを提案。雑誌・Webとコールセンター予約を融合させた。楽天トラベル国内宿泊予約センターでは同社担当者をうならせるトップの実績をあげ、ぐるなび予約センターやユニクロのTVショッピング予約まで事業を広げた。

 ネットの普及期、1998年にWeb広告から始めた起業、今や社員130名を超える規模にまで拡大した。業務拡大へと突き進む小島さんの原動力となっているものは何なのだろうか。

●「結果を出すしかないやん」

 それは中学生から始めた卓球。当時の監督は名投手北別府学※をコーチした野球出身者だった。“走れ走れ”の厳しい練習に、何度も「やめよう」と思った。しかし、「最後までやれないのか!」と父に怒られ、「やるか」とがんばり抜いた結果、鹿児島県大会で優勝。

※北別府・・・北別府学。宮崎県立都城農業高等学校から広島東洋カープに入団し、1980年代の広島の主力ピッチャーとして活躍した。

 しかし、全国レベルではノーマーク選手にすぎない彼女を全日本レベルに押し上げたのは、2度に渡って追いつめられた時の“無心の体験”にある。

 高校生の頃、父が経営する事業が傾き、家計が窮乏した。全日本卓球選手権の遠征費用が捻出(ねんしゅつ)できず、出場をあきらめかけた。だが厳しい中、父は何とか費用を出してくれた。父のためにも「結果で返すしかないやん」と無心になった。その結果、全日本ジュニアの部5位に入賞したのだ。

 高校卒業後は名古屋の企業の卓球部に所属し、朝5時に起きて練習、9時から17時まで仕事、17時から22時まで練習という毎日。猛練習が実り、第19回全日本社会人卓球選手権大会の予選を勝ち抜き出場権を得たものの、開催地は遠い北海道。卓球部には遠征予算は無い。出場できなければこれまで積み上げてきたものが無になる。「自費でも行きます!」と言いはったが、何とかダブルスの相方と監督、3人の旅費は調達できた。だがまたしても「結果を出すしかないやん」と追いつめられた。

 「あの時は不思議な体験でした」

 試合本番、時速100キロを超えるボールが止まって見えた。ロゴまで読み取れた。不思議なほどの集中心、無心の境地。ノーマークの選手が2日間勝ち進み、結果は優勝だった。

●卓球をやる人を幸せにしたい

 卓球で結果を出してきた彼女。優勝の後、もう1つ“結果を出す約束”をした。それは「起業家になる」という約束だ。借金は返済したが健康を害した父が病床で言った、「もう一度、事業を起こしたい」。彼女は「代わりに私がやる」と約束した。25歳の時に父は亡くなり、起業する約束が残された。

 「卓球をやる人を幸せにしたい」という思いから、DIOジャパンの本社を置く愛媛県で卓球クラブ「えひめTTC」を運営し、森薗美月さんら有力選手を擁する。「坊っちゃんカップ道後温泉卓球大会」で地域活性化にも貢献している。「人を幸せにする」が原点だからこそ、コールセンター事業にも自然体のビジネス感覚で臨める。“人間がウリ”の事業の裏には、結果を出す努力と、努力した人だけが得られる無心があった。

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