12月12日17時59分配信 医療介護CBニュース
全国10か所の厚生年金病院が今年10月1日、社会保険庁から独立行政法人「年金・健康保険福祉施設整理機構」(RFO)に出資された。同機構は、政府・厚生労働省が決める方針に基づき、2010年10月までの2年間で統廃合を含めて各病院の整理を完了することになっており、患者や住民を中心に公的病院としての存続を求める運動が広がっている。こうした中で、「厚生年金病院存続運動全国連絡センター」の代表世話人・丸山和彦さんは、「医療危機打開に苦闘する住民、自治体の運動と連携して、厚生年金病院自らが公的病院としての存在意義を明確にする必要がある」と話す。存続を訴えるだけでなく、公的病院を軸に地域医療全体の再構築を目指す必要があるという考え方だ。(兼松昭夫)
第41回 丸山和彦さん(厚生年金病院存続運動全国連絡センター 代表世話人/厚生年金病院と保養ホームの存続・充実を願う会・湯布院代表)
■役割は「民間で担いきれない不採算医療」
―厚生年金病院の存続運動に携わるようになったきっかけをお聞かせください。
年金保険料の「流用・ムダ遣い」への厳しい批判を受けて与党年金制度改革協議会が2004年3月、病院を含むすべての年金福祉施設を売却・廃止する方針を決めました。
わたしは当時、脊椎の難病による長期入院の後の療養生活をしており、大分の湯布院厚生年金保養ホームに3週間程度滞在しながら、隣接する厚生年金病院で短期集中的なリハビリテ-ションを年に3-4回受けていました。全国各地から、脳卒中などの重度の後遺症や難病で障害を持つ人々が来て、温泉で心身を癒しながら回復期・維持期のリハビリに励んでいる。こうした貴重な医療システムは国の責任で拡充すべきものであり、廃止・売却などという理不尽を許すわけにはいかないというのがきっかけです。
仲間と話し合い、「厚生年金病院と保養ホームの存続・充実を願う会」を結成し、病院のOB職員らと町長をはじめ地域の全世帯を各戸訪問しました。地を這うような活動でしたが、住民の関心は高く、短期間で地域ぐるみの運動に広がりました。湯河原、玉造、大阪など各地の病院を訪ねて「存続の会」をつくり、1年半後の05年12月に存続運動の全国連絡センターを結成しました。患者・住民が主体になり、自治体、関係議員、農協、商工会、町内会、医師会などと協力して超党派の運動を積み重ね、厚生年金病院の公的存続を求める署名は10病院の地元で100万筆近く集まっています。
この4月と10月には、わたしたちの会と湯布院の市長、市会議長とが連名で全国に呼び掛け、行政・議会・住民が共同で政府・国会への要請行動を行い、6党代表や超党派医療危機打開国会議員連との懇談会を開催しました。全国の厚生年金病院は、民間病院では担いきれない小児救急医療やリハビリなどの不採算医療を担っており、一歩も後に退くことができないのです。
―厚生年金病院と同様に社会保険病院もRFOに出資されています。全国連絡センターとしては、これらの病院についても同じスタンスなのでしょうか。
社会保険病院も、その地域の住民に不可欠な公的病院ですから、公的施設として存続することを願っています。ただ、わたしたちは厚生年金病院を利用する患者・住民としての立場で存続運動をスタートし、発展させてきたわけですから、各地の会や全国連絡センターの名称には「社会保険病院」の文言を入れていません。
―10月に結成された「社会保険病院・厚生年金病院等の存続をめざす全国連絡会」に参加していないのもそうした理由からですか。
全国には公立病院を含め、住民を主体としたいろいろな公的病院の存続運動があります。そうした運動相互の情報交換や運動の交流などの連携は必要ですが、公的病院全体の存続運動を特定の労働組合が無理やりひとつに束ねるような単一運動組織をつくる必要はないと考えています。
―東京から湯布院までリハビリに通院していたということでしたが、都内や近県ではそのような医療を受けることが難しいのでしょうか。
滞在型の温泉療養施設と高度医療を提供する病院とがセットになったリハビリ医療システムは、残念ながら湯布院、玉造、湯河原などの厚生年金病院と保養ホームなどに限られているのです。難病や重い障害を持つ人が人間らしく生きていくには、生涯にわたる継続的なリハビリが必要ですが、そういう人たちにとって湯布院のような施設はかけがえのない貴重な施設です。保養ホームに一日三食付きで6000円弱で滞在して温泉療養と食事療法をしながら、隣接する病院で高度のリハビリ医療を受ける。それは、病院と保養ホームが公的施設として固定資産税免除など税法上の特典などがあるからこそ、民間では不可能なサービスを維持していくことができるという制度上の背景があるのです。
■公的病院を軸に医療の再生を
―厚生年金病院の存続運動では、「公的存続」がキーワードだと感じます。ただ、現在では公的な存在とされる公立病院が閉鎖されるケースも珍しくありません。こうした中で、「公的存続」にこだわる理由はどこにあるのでしょうか。
各地の厚生年金病院は地域の中核病院として救急医療や小児医療などで安心・安全の医療を担っているだけでなく、総合的リハビリなどでは、他府県にまたがる全国的規模で重要な役割を果たしています。
例えば、湯布院厚生年金病院の場合、300床足らずの中小病院ですが、不採算とされるリハビリテーションに特化し、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士などの専門スタッフを120人余り確保しています。そして全国各地の病院から紹介された患者への入院リハビリだけでなく、山間部への訪問リハビリなどを行うとともに、国の施策である地域リハビリ事業の大分県全体の中核センターとして県内の病院を援助するなど、多彩な活動を実施しています。
―医療法人に売却されたとしても、仮に現状の医療が維持されるなら問題はないということでしょうか。
仮に、この病院が民間に売却されたりすれば、巨額の病院購入資金や固定資産税などのために、こうしたリハビリ医療を続けることは不可能です。診療内容の縮小、専門スタッフの大幅削減などが避けられません。
わたしたちの運動は、総合的リハビリ医療や難病に対する専門医療は民間に任せ切るのではなく、政策医療として国が担うべきだという考えに基づくものです。
厚生年金病院の幹部の中には、「公的でなくても、病院が存続しさえすればよい」という意見がありますが、これは厚生年金病院の役割、存在意義を自己否定するものです。厚生年金病院は公的病院であってこそ、先進的役割を果たすことができたのですし、この公的病院を軸にして崩壊の危機にある地域医療と日本の医療を再生しなければならないと思うのです。
―その場合、政策医療の範囲が問題になります。公立病院では、優遇措置を受けながら普通の民間病院とあまり変わらない医療を担っていると指摘されるケースもあります。
政策医療の範囲は、地域の医療事情によっても異なります。そのためわたしたちは、存続を訴えるだけでなく、政府や各党に対して「日本の医療のあるべき姿と公的病院の役割を国会で議論し、合意を形成してほしい」と繰り返し要請してきました。同時に、地元自治体の行政、議会、医療関係者と継続的に懇談し、年金病院を公的施設として存続させる運動と合わせ、地域全体の医療をどうつくり上げるかを話し合っています。
地域によって濃淡はありますが、公的病院としての厚生年金病院に対する地域の要望、期待は極めて強い。最近も、大分県各市の市長、議長さんと懇談しましたが、共通して公的病院としての存続の必要を強調され、全県的規模での公的存続要望の要望書採択が準備されています。
厚生年金病院の側も、こうした自治体、住民の存続運動を傍観せずに、地元の行政や医療機関、住民代表などとの協議の場をつくるなど、率先して関与していくべきです。自らの病院の運営状況や医療方針を公開・説明し、要望や批判も聞いて改善、充実させていくとともに、地域の医療計画づくりにも積極的役割を果たす。そのことによって、公的病院としての存在意義、役割を鮮明にしていくことが重要だと思います。
■与野党議員「公的存続」で一致
―「公的な存続」の見通しをお聞かせください。
存続運動を始めた4年半前は、面談した厚生労働大臣、副大臣も与党幹部も、「病院も例外なく競争入札で売却もしくは廃止する」の一点張りでしたが、今では「地域医療を損なわないように適切な方策を講じる」と大きく変化しています。
これは、地域ぐるみ・自治体ぐるみの運動の成果です。この10月にわたしたちが国会内で開催した「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」(尾辻秀久会長)との懇談会では、自民、民主、共産、社民、国民新の与野党議員が一致して、「公的な病院として存続させる方策を超党派で実現しよう」と表明しました。民主党では、既に公的存続の法案を作成しています。
わたしたちは各地の運動に取り組みながら、全国連絡センターとして政府や国会への要請を週1回続けていますが、年明けからの通常国会では、何としても公的存続の立法措置を超党派の合意で実現させたいと思っています。これは、難病患者として生涯にわたるリハビリ医療を必要とするわたし自身の不退転の決意であると共に、医療危機の打開を切望する多くの国民に共通する思いだと確信しています。