街道を歩く:斎王の道を巡って/5 明和地域 残る貴重な建物 /三重

1月8日13時1分配信 毎日新聞

 ◇ロマン薫る街並み、後世に
 街道沿いに住宅や商店が建ち並び、所々に江戸や明治時代からの古い建物が残る。斎宮跡(明和町)から近鉄山田線を越えた南側にあるのが伊勢街道だ。街道の活性化を目指して活動する「史跡斎宮跡・伊勢街道まちづくり会」会長の永島喬(たかし)さん(75)と街道を歩いた。
 明和町の西端に祓(はらい)川が流れている。そこから東に200メートルほど歩くと「外宮まで三里、宮川まで二里半」であることを示す石碑が残る。永島さんによると1847年に建てられた。街道を歩いて伊勢神宮参拝へ向かった江戸時代の人は、この石碑を見て「あともう少しで目的地に着く」と心が弾んだのだろうか。
 両側に田畑が広がる中を東に向けて歩き、しばらくすると集落に入る。江戸時代は街道沿いにうどん屋、銭湯、粉屋など、参拝客相手の店が建ち並んでいたというが、今ではほとんど残っていない。
 この集落で見られる建物のひさしには、「雁木(がんぎ)」と呼ばれる風よけがつく。また街道沿いの窓には格子戸が付き、さらにその下部には「馬止め」と呼ばれる柵がついている。ただ、三つすべてが残っている建物は多くなく、貴重な存在だ。
 交差点に建つ建物の屋根には「鍾馗(しょうき)」と呼ばれる小さな像が立っている。永島さんは「魔よけのために作られたと言われている」と話す。
 会は07年に約20人で設立した。東西6キロにわたる街道の観光地図を作成中で、どの建物の写真を載せるかなどを話し合っている。また街道の景観をよくするため、県と共同で街道のカラー舗装などを検討している。「良い景観を後世に残したい」という。
 今年は斎宮跡が国史跡になってから30周年。永島さんによると、30年前は地権者を中心に「土地を売りたくない」などと反対も多かった。しかし今では「観光客が来るので地域の活性化につながっている」と喜ぶ声が多いという。
 永島さんは「斎宮跡に来た人に一人でも多く街道を歩いてほしい。そのために県外の人にも分かりやすい地図(ガイドマップ)を作りたい」と話す。【山口知】=つづく
〔三重版〕

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