1月12日0時41分配信 読売新聞
神戸市東灘区の銘田(めいだ)奈津紀さん(20)。母のさつきさん(当時33歳)は阪神大震災で亡くなった。一時は「頑張っても、ママのメークはできない」と無力感にさいなまれたが、家族や親友の励ましで再び前を向いて歩み始めた。「きっと夢をかなえるから見守ってね」。奈津紀さんは、天国のさつきさんに誓う。
両親と姉の4人で暮らしていた自宅は全壊した。2階で寝ていた奈津紀さんは、タンスとふすまの間のすきまに入って助かったが、隣室のさつきさんは鏡台の下敷きになった。
奈津紀さんは当時6歳。一緒に風呂に入ると、奈津紀さんがさつきさんの髪をとかした。しかし、癖毛の髪はいくらといても、真っすぐにはならなかった。「おっきくなったら、ママをきれいにしてあげる」。そう言うと、さつきさんはにっこり笑ってくれた。
震災後、祖父母宅に引き取られた奈津紀さんは2007年春、大阪市の美容専門学校に進んだ。しかし、入学してすぐ「美容師になっても、ママの髪には触れられない。一番きれいにしてあげたい人がいない」と、むなしさに襲われた。学校から足が遠のき、自宅にこもった。出席数が足らず、留年が決まった。
「学校行きや」。それとなく気遣ってくれる祖父の思いやりはうれしかったが、気持ちがついていかなかった。家族が寝静まった深夜、仏前にひとり座った。遺影のさつきさんは、いつもほほ笑んでいた。「ねえ、どうしたらいい?」。問いかけは幾夜も続いた。
冬。家に訪ねてきた親友が、奈津紀さんの様子を見かねて口を開いた。「お母さんが生きていたら、何て言うかな」。高校時代からつきあう親友が、母の話題に触れたことはほとんどなかった。それだけにその一言は、胸に響いた。
「もう一度やってみる」。半年のブランクを経て、奈津紀さんは再びハサミを手にした。朝から夕方まで授業を受け、夜は、休んだ間の学費をまかなうため居酒屋でアルバイトをした。睡眠時間は短くなったが、実習を休むことはなくなった。
今、奈津紀さんは「自分は恵まれている」と感じている。母親代わりの家族、本当につらいときに寄り添ってくれる友がいるからだ。だからこそ、自分もみんなを幸せにできる美容師になりたい、と思える。
「ママもきっと応援してくれるはず」と奈津紀さん。理美容師の国家試験は1年後だ。