【みちのく鬼行】(8)花巻 「原体剣舞」は想像で描写?躍動する宮沢ワールド

1月11日8時1分配信 産経新聞

 Ho! Ho! Ho!/むかし達谷(たつた)の悪路王/まつくらくらの二里の洞…

 宮沢賢治の詩「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」を読みながら、賢治の故郷、岩手県花巻市を歩いている。悪路王とは伝説上の蝦夷(えみし)の頭領で東北各地に鬼として伝わっている。原体剣舞は同県の子供の踊り。文学青年を気取ってみたが、なぜわざわざ英文で書くのだろう-ぐらいが当面の感想だ。気取り切るには同市の宮沢賢治記念館で話を聞かねばなるまい。

 「躍動感があるでしょ?」。副館長の牛崎敏哉さん(53)が説明してくれた。「ハイカラなものから蝦夷など土着的なものへ賢治の興味が移り始めたのを示す資料といえます」。

 「注文の多い料理店」などでは都会と田舎を対比させたといえる賢治だが、原体剣舞連はより田舎の方に傾斜したように読めるという。賢治の詩集「春と修羅」の原稿用紙の分析では、原体剣舞連は詩集に後でつけ足したというのが定説らしい。

 この詩には他にも謎があるようだ。実は、実在する原体剣舞は義経伝説とかかわりが深く、悪路王は登場しないのだ。実際の踊り手も子供で、勇壮な詩とはイメージが遠い。「賢治は実際に原体剣舞を見たといわれていますが、他の剣舞や想像が元なのかも」と牛崎さん。同県北上市に伝わる国の重要無形民俗文化財「岩崎鬼剣舞」では、鬼のような面をかぶって大人が太刀を振って勇壮に踊るらしい。

 口頭の説明は難しそうなので実際見てみることにした。原体剣舞や神楽の愛好者が集まる忘年会があると聞いて向かったのは同県奥州市胆沢区の旅館「奥州胆沢温泉すぱおあご」だ。

 午後6時。旅館の座敷に赤ら顔でビールをあおる、主に70代の男性10人弱が集まっていた。

 陸軍大将のようなひげを目尻の辺りまで上に立てた菊地啓一さん(75)は原体剣舞を子供のころから始めたという。「賢治が知人の法事か何かで見て感動したのが原体剣舞。賢治のおかげで有名になったから、いまは神楽を中心にやってますけどね」と胸を張る。賢治が見たのは鬼剣舞-という説を持ち出したら叱られそうだ。

 神楽愛好者の忘年会だけに、座敷の壇上には直径1メートルほどもある革張りの太鼓がある。酒が回ると、菊地さんがばちを両手に太鼓をたたき始めた。他の参加者も横笛を吹いたり、夕食の土鍋のふたを合わせて金属音を響かせたり。「楽しいよ。記者さんもやる?」。炭坑節を踊ってみたが、老人パワーに圧倒され、午前2時でダウンした。

 翌朝、菊地さんに車で同市江刺区の菊地さん方まで送ってもらった。近くに「原体剣舞連」の詩碑があるからだ。菊地さんは、学校教諭を引退して近所で原体剣舞を教える及川忠之さん(70)を紹介してくれた。

 軽トラックのなかで、及川さんは地元のうわさを披露してくれた。「賢治が一度見に来ようとしたらしいんですけどね。おなか壊したか肺を悪くしたか、途中で引き返しちゃったらしいんですよ」。

 石造りの詩碑は岩手を見下ろす開けた場所にあった。賢治の故郷・花巻市が望めたらしいが、木が伸びてみえない。不心得者が拓本を取ったのか、直接墨を流したように汚れていた。

 石碑に刻まれた詩を読んでも気になったのはやはり英字だ。「打つも果てるもひとつのいのち/dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」という具合に詩の要所に英字のかけ声が入っている。

 及川さんによると、このかけ声も、「ダア、ダア…」ではなく、実際は「サア、サア、サアノシャア」。4拍子で8秒くらいかけてゆったり唱えるらしい。と話しているうちに2人で唱和を始めていた。

 「サア、サア、サアノシャア、トントン」。及川さんが柔和な笑顔で歌いつつ、軽トラックの荷台でリズムを取り始めた。ヒラリ。及川さんが宙に舞う。ゴム長靴で左にステップを踏んだかと思うと右に。陽光を背負いながら腕を左右に振って踊りが止まらない。放っておくわけにもいかず、シャッターを切りながら一緒に踊り始めた。心が不思議に鎮まってくる。

 賢治がこの光景を目にしたら、どんな詩に歌うのだろう。賢治には見えた未知の世界-。英字以外も見てみたかった。

(荒船清太)

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