3月7日13時1分配信 毎日新聞
◇長野電鉄・信濃吉田駅、マンション街変容の80年見つめ
◇愛が成就、縁起のいいプラタナス 市民憩いのスポット--近隣住民要望で移転保存
長野電鉄長野線・信濃吉田駅(長野市吉田)の北側に建つマンションの一角に、枝が切り落とされ、寂しげなプラタナスがある。実はこの木、愛を成就させるとのいわれがある「両想(おも)いの樹(き)」。80年前に植えられ、商業地からマンション街へ変容を遂げる古い町を見守っている。
信濃吉田駅は1926(大正15)年に造られた。97年に橋上駅舎に建て替えられるまで、当時のままの木造駅舎だったという。駅員は1人で、切符の入鋏(にゅうきょう)は省略。近くの中学、高校の通学客が多い。
木は29(昭和4)年、老舗菓子店「二葉堂」の敷地に植えられた。現在は再開発に伴ってマンションの一角にある。
30年程前から、現在のように支えの鉄柵を抱え込むように成長。電車を待つ中高生が周囲に集まるようになった。その中で「両想い」のエピソードが生まれる。
<高校生の男女が電車を待つ間に、鉄柵の左右の支柱に手を添えて言葉を交わすようになった。やがて愛が成就する-->
このマンションに住む二葉堂会長の清水偉男さん(57)によると、元々、須坂藩主に和菓子を献上していたが、信濃吉田駅の設置に伴い、駅北側に移転。その際、3本のプラタナスを道沿いに植えた。駅周辺は、かつて長野の主要産業だった繭の集積地として栄えた。繭を換金した人が吉田の商店街で買い物をしたため、木のある駅北側は、かつて商店や娯楽施設が軒を連ねたという。
その一つ、「佐藤写真館」の佐藤典孝さん(53)は「私が小さいころには、映画館だってあった」とかつてのにぎわいを語る。だが、製糸業の衰退やモータリゼーションの到来などで次第に人の流れが変わり、店舗が消えていったという。「小学生の時、手すりに腰を掛けたこともありました」とプラタナスの思い出も振り返った。
今、信濃吉田駅は再開発などでビルやマンションに囲まれ、木の周辺も商店はまばらになった。
木の北向かいで「滝の湯」を営む蓑輪三夫さん(65)、一枝さん(65)夫婦は「切ったら惜しいなと思っていた」と口をそろえる。
滝の湯は57(昭和32)年創業。長野市内で10軒ほどしかない銭湯の一つという。今は宿泊客も受け入れ、運動部の合宿にも利用されるという。
「昔は商業地だったが、今は『マンション地』。知っているだけで10棟以上建った」と三夫さん。かつては呉服店、パチンコ店、スーパーもあったという。そうした中、プラタナスの木は残った。「切られる運命にあった“昔なじみ”が、残って良かった」と笑う。
昨年3月、マンション建設のため、伐採の危機にさらされた時、近隣住民の要望で、木は移転保存。先月23日には地区住民自治協議会などによって銘板が設置された。今後は「愛が成就する縁起のいいプラタナス」としてベンチの設置などを計画している。
二葉堂の清水さんは「まちの要所、要所に『両想いの樹』のようなスポットを作り、我が町・吉田を盛り上げたい」と話している。【竹内良和】