創作料理店のコース料理で「ふぐコラーゲン鍋」-山口・湯田温泉

1月14日20時23分配信 山口経済新聞

 山口・湯田温泉の創作料理店「旬彩 まさらっぷ」(山口市湯田温泉2、TEL 083-928-5775)が1月2日より、「ふぐコラーゲン鍋」の提供を開始した。

 同メニューは、フグ皮を煮凍りにする要領でコラーゲン抽出したものを、フグちり鍋に溶かして食べるもの。鍋を味わった後には、コラーゲンのうま味が詰まったままの鍋を使い、そのまま雑炊にする。

 同店が1月から始めた「創作ふぐづくしコース」のメニューのひとつとして提供しているもので、鍋のほか、フグ刺し、フグ炭火焼き、フグの白子茶碗蒸し、フグの唐揚げなどを提供。コースの料金は5,250円、8,400円、12,600円。「ふぐコラーゲン鍋」単品(雑炊付き)は1,575円で提供する。

 同店では毎月ひとつの食材にスポットを当てたコース料理を提供している。1月はフグで、2月は伊勢エビを予定。これまでにもマツタケ、カニ、アワビなどを取り上げてきた。

 山本和郎店長は「フグ皮から抽出したコラーゲンは、そのまま食べても味がほとんどないが、雑炊にしたときにうま味が増して真価を発揮する」と話す。

 営業時間は11時30分~15時、17時~24時。日曜定休。「創作ふぐづくしコース」は今月31日まで、「ふぐのコラーゲン鍋」(単品)は2月28日まで。

串間温泉いこいの里:市が三セク解散を提案 責任など巡り議会紛糾 /宮崎

1月14日17時1分配信 毎日新聞

 串間市は13日開いた臨時市議会で、同市本城の「串間温泉いこいの里」を運営する第三セクター「串間リフレッシュビレッジ」(社長・鈴木重格市長、資本金5100万円)への公的資金1027万円余りの投入と、市の保有する540株(額面2700万円)を同社へ無償譲渡する2議案を提案した。資本金を上回る赤字を抱えた同社を解散するための措置で、議会は市長の責任問題などを巡り、深夜まで紛糾した。
 市は提案が通れば、3月末の指定管理者契約期限切れとともに同社を解散し、新たに民間企業による経営引き継ぎを模索することにしている。
 同温泉はふるさと創生資金で掘削され96年から営業を始めたが、単年度黒字を計上したのは数年だけで、昨年3月末決算では累積赤字が資本金を上回る5276万円にふくらみ、今年3月末でさらに1300万円増える見通し。市側は三セクによる運営を断念し、残りの累積債務を株の精算でまかなう方針。
 議会の冒頭で鈴木市長は「経営難に陥った責任を感じている」と陳謝したうえで「温泉は市民の大切な財産。新たな民間活力を導入するために債務をできるだけ減らして引き継ぎたい」と提案理由を説明したが、公的資金投入を巡り、市長の責任を問う声が相次いだ。【塩満温】

観光座談会:平和台、京町温泉を新たなスポットに 東国原知事が提案 /宮崎

1月14日17時0分配信 毎日新聞

 みやざき観光コンベンション協会主催の「新春観光座談会」が13日、宮崎市内のホテルで開かれた。東国原英夫知事や九州運輸局の山口一朗・企画観光部長、県内観光産業関係者ら計6人が県観光の展望や課題を話し合った。
 知事は、「今までの発想を捨てて細かい要望に対応するべく創意工夫を」と持論を展開、スポーツ、農業、癒やし体験を取り込んだコース提供の必要性を指摘した。また、えびの市の京町温泉や宮崎市の平和台を「いまいち認知度が不足している」として、新たな観光スポットとして売り出せないか、と提案した。
 また、山口部長は「11年に九州新幹線鹿児島ルートが開業した後、熊本や鹿児島からうまく誘客する方法を考えなければ」と県の抱える課題を指摘した。【種市房子】

リクルート、「じゃらん net」公開 API のケータイ版サービスを開始

1月14日16時23分配信 japan.internet.com

株式会社リクルートは2009年1月14日、同社が運営する国内総合宿泊予約サイト「じゃらん net」の API を公開する「じゃらん Web サービス」のケータイ版を開始した。

「じゃらん net」では、パソコンサイトの開発者・アフィリエイター向けに、2006年6月より「じゃらん Web サービス」を提供してきたが、今後もケータイサイトの利用が高まることが想定されるため、ケータイ版を公開するにいたったという。

ケータイ版では、パソコンサイト用に提供している「じゃらん宿表示 API(アドバンス、ライト)」「空室検索 API」「エリア検索 API」「温泉検索 API」などのサービスを利用可能。なお、パソコン、ケータイサイトともに、API の検索条件は同じとなる。

懐かしの日光ロマンスカー保存へ、安住の地は東武博物館

1月14日15時27分配信 読売新聞

 戦前、戦後の東武鉄道を“牽引(けんいん)”した懐かしの車両2両が、墨田区東向島の東武博物館にこのほど運び込まれ、安住することになった。

 同社第1号の電気機関車「ED4001号」と、戦後初の特急電車「5700系モハ5701号」。

 開館20周年の同館は、昨年12月末から内部改装のため休館中だが、2両は7月のリニューアルオープンの目玉として、鉄道ファンに公開される。

 ED4001号は1930年(昭和5年)にイングリッシュ・エレクトリック社が製造。貨物列車を40年以上引っ張った後、73年に滋賀県の近江鉄道に譲渡され、86年の引退後は彦根駅構内で保存されていた。

 一方、5700系は51年9月に浅草-東武日光・鬼怒川温泉間を結ぶ特急ロマンスカーとしてデビューした。

 戦後、東武が初めて自社設計した車両で、改造される前は、フロントガラス下のヘッドマーク支持金具の形から「ネコひげ」の愛称で親しまれた。戦後の混乱を脱し、観光旅行が復活した頃。国鉄は56年、上野-日光間にそれまでの蒸気機関車に替えて新型ディーゼルカーを走らせて対抗し、激しい旅客輸送競争を展開した。

 ネコひげは5年で急行用に降格。69年以降、91年の引退まで修学旅行などに使われた。展示車両は埼玉県宮代町の東武動物公園駅構内で保存されていた。

 2両とも10メートルを超える長さがあり、東武伊勢崎線東向島駅の高架下にある同博物館への搬入作業は、周辺の道路交通を妨げないよう、夜間に行われた。

 11日午前3時すぎ、大型トレーラーに積載された2両が順次、博物館の隣の小学校の校庭に到着した。日の出後の午前7時から、作業員約50人が移設作業に着手。大型クレーンでつり上げ、約3時間かけて2両を博物館の中庭に移した。

 同館では、東武初の蒸気機関車「5号」「6号」、電車「デハ1形5号」も保存している。東武鉄道では「東武鉄道の歴史を語る最初の蒸気機関車、電車、電気機関車が一堂にそろう。他の博物館にはない展示を目指す」と話している。(伊藤史彦)

【光太郎と智恵子最後の旅】(上)何思い故郷の湯めぐりへ

1月14日8時3分配信 産経新聞

 ■芸術と家庭板ばさみの日々

 彫刻家で詩人の高村光太郎は昭和8(1933)年8月25日の午後、妻、智恵子を伴い、福島県猪苗代町の川上温泉を訪れた。智恵子の実家の菩提(ぼだい)寺、満福寺(当時安達郡油井村、現二本松市)に墓参した後、足を向けたのだった。翌月にかけ、合わせて4つの温泉をめぐる旅の始まりだった。

 智恵子はこのとき47歳。2年前から、精神に変調をきたしていた。光太郎はどんな思いで、温泉めぐりをしたのだろうか。

 智恵子の顕彰活動などをしている二本松市の市民団体「智恵子の里レモン会」の渡辺秀雄会長は「智恵子の病気が悪化してくるのを心配してのことだろう。智恵子は1年のうち4カ月ぐらい実家に帰って静養すると、元気になって帰ってくるというのが続いていた。それで、ふるさとに連れていけば、回復するのではと期待していたらしいですね」と語る。

 『智恵子抄』にみられるように、光太郎の智恵子に対する愛情は痛々しいほどだ。智恵子の精神が崩壊しつつあるのを目にして、光太郎は何とかしたいともがいていたのではないか。

 実は、猪苗代町のほかに、福島市の土湯の奥にも川上温泉がある。だが、研究家は、『山麓(さんろく)の二人』という詩を根拠に、2人が行ったのは猪苗代町の方とみている。

 智恵子が「わたしもうぢき駄目になる」と慟哭(どうこく)する『山麓の二人』の1行目は「二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は」となっている。この情景を奥土湯から望むことはできない。裏磐梯を訪れたことがない者にはできない表現だ。光太郎が智恵子と連名で、智恵子の母、長沼センあてで出したはがきにも「磐梯山下の川上温泉に投宿」とある。

 光太郎と智恵子は「滝の湯」に泊まったとみられている。滝の湯は既に廃業、跡形もなくなっているが、近くに経営者だった磯谷吾妻さんが住んでいた。

 磯谷さんは「明治21(1888)年の磐梯山の大爆発で、このあたりはみんななくなった。祖父が大正初期に滝の湯を作った。当時(高村夫妻が来たころ)は滝の湯1軒だけだった。来る人は大抵、うちへ泊まった」「ここから登っていくと、磐梯山の火口のところに出る」と説明してくれた。

 川上温泉は、磐越西線から約12キロもある。病人の智恵子が歩いたとは思えない。以前、川桁(かわげた)駅から北東部にあった沼尻鉱山までは、硫黄を運ぶ軽便鉄道が走っていた。「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」の安部なか事務局長は「周辺住民や温泉客らが乗っていた。高村夫妻は名家(みようけ)停留所で降りて、タクシーか馬車を頼んで、川上温泉まで行ったのではないか」と推測する。

 智恵子の精神に引き金を引いた原因は何だったのだろう。

 「芸術家同士の夫婦だから、どっちかが自分の芸術に対する時間を犠牲にして家事をしなければならず、どうしてもそれが女性の方にかぶさってくるということが当然考えられる。やりたいができないという精神的な相克が原因だという人もいる。それから、実家が昭和4年に破産した。これが大きく響いているのではないかというとらえ方もある」と渡辺会長。

 光太郎も『智恵子抄』(新潮文庫)に収められている「智恵子の半生」の中で、「(智恵子は)結婚後も油絵の研究に熱中していたが、芸術精進と家庭生活との板ばさみとなるような月日も漸(ようや)く多くなり、(中略)後年郷里の家君を亡(うしな)い、つづいて実家の破産に瀕(ひん)するにあい、心痛苦慮は一通りでなかった」と記している。

 だが、心の裡(うち)のこと。断定は難しい。

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 高村光太郎・智恵子夫妻は昭和8年の8~9月、福島、宮城、栃木3県を訪ね、4つの温泉を回った。智恵子の療養のためだった。しかし、病状はその後さらに悪化。この温泉めぐりは2人にとって、旅らしい旅としては最後になった。2人の旅程をたどった。(土樋靖人)

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 ■高村光太郎 明治16(1883)年、東京生まれ。父は彫刻家の高村光雲。代表作に、十和田湖畔に建つ「裸婦群像」など。詩集には『道程』『智恵子抄』などがある。昭和31(1956)年没。

 ■高村智恵子 明治19年、福島県安達郡油井村(現二本松市油井)の造り酒屋、長沼家の長女として生まれる。福島高等女学校、日本女子大家政科卒。44年、平塚らいてうらが発刊した女性誌『青鞜』創刊号の表紙絵を描く。大正3(1914)年、光太郎と結婚。昭和10年に南品川ゼームズ坂病院入院後は紙絵に没頭する。13年、粟粒性結核で死去。

 ■川上温泉 磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インターチェンジから車で約30分。民宿やペンションなどが点在する。磐梯山への登山口があり、近くには磐梯山の爆発でできた五色沼や桧原湖などの湖沼が多い。

阪神・真弓監督「今年、勝負をかけます」

1月14日8時1分配信 サンケイスポーツ

 阪神・真弓監督が13日、有馬温泉で開かれた1985年の日本一と87年の最下位を経験した阪神OBの親ぼく会「天地会」の会合に出席し、必勝を誓った。「トシを重ねるごとに監督は難しい。毎年、疲れが残るから。長くやるより今年、勝負をかける。南球団社長からも『育てながら勝て』ではなく、『勝ちながら育てろ』といわれている。勝負をかけようと思っている」。2年契約だが気持ちは背水の陣。優勝&世代交代の同時達成を約束していた。

「ミスこけし」ついに中止 大崎市予算化せず

1月14日6時13分配信 河北新報

 鳴子温泉など宮城県大崎市の観光宣伝を担う「ミスこけし」を選ぶミスコンテストが、新年度以降は実施されないことが13日までに決まった。昨年6月に実施したコンテストの応募者が低調だったことや、ミスコンテストを女性蔑視(べっし)ととらえる風潮の定着、財政難などが背景にある。

 コンテストは、旧鳴子町時代から始まり約30年続いてきた。任期は2年で、多いときには5人のミスが活動していた。
 中止の発端となったのは、15代目のミス2人を決定する2008年度のコンテストだった。応募者は2年前の108人から、33人に激減した。

 コンテストには、賞金やミスこけしの活動費などで約300万円の費用がかかっていて、昨年11月に行われたコンテスト実行委員会でも、「限られた予算を他のことに使った方がいい」「ミスコンテストに対する批判もあり、もうやめてもいいのでは」などの声が上がった。

 これを受けて大崎市も新年度予算にコンテスト関連費用を盛り込むことを見送る方針を固め、コンテストの中止が決まった。大崎市鳴子総合支所観光農政課は「社会情勢を踏まえた結果」と説明している。

温泉プラスαの“温泉テーマパーク”で身も心もリフレッシュする!

1月13日15時22分配信 RBB TODAY

 BIGLOBEの温泉旅行情報サイト「BIGLOBE温泉」では、今人気の温泉をテーマにしたレジャー施設を紹介する「温泉テーマパーク特集」を開始。おすすめポイントやユーザのクチコミを紹介している。

 「温泉テーマパーク特集」では、スパリゾートハワイアンズ(福島県)、長島温泉 ナガシマリゾート(三重県)、大江戸温泉物語(東京都)など、今人気のある全国の“温泉テーマパーク”施設9ヵ所を厳選して紹介。遊園地やプールなど温泉テーマパークに付設されている施設のおすすめポイントやユーザのクチコミ情報を紹介し、温泉テーマパーク選びや冬のレジャーを検討している人に有用な情報を提供している。温泉宿やホテルではなく、子供も楽しめるテーマパークを併設した温泉で、家族全員で楽しめる温泉旅行にうってつけの施設だ。