1月7日8時4分配信 産経新聞
青森市内を車で出てから3時間あまりが過ぎただろうか。村落に入っても、鬼どころか人ともすれ違わない。人の顔で見えるのは政治家のポスターぐらい。青森県風間浦村。下北半島の突端は道が凍りかけている。
待ち合わせ場所に立っていた同村の民俗学研究家の柴垣弘美さん(79)を見つけた。
「ポスターは選挙が近いって秋に突然据え付けられたんだけど、いつやるのかね?」
その答えはこちらが知りたいぐらいだ。質問で返した。こちらにナマハゲがいると聞いたのですが。
ナガミ(メ)ヘズリとこの地方では呼ぶ。柴垣さんによると、小正月の時期、地域の年配者が鬼のような顔をした面などで顔を隠し、みののようなものを羽織ったナガミヘズリとなって家にやってくる。金属のバケツなどを棒でカンカンならしながら「泣ぐわらしいねが~」と声を張り上げて子供を怖がらせるという。暖炉の火にあたりすぎて焼けた皮膚をナガミと呼ぶ(秋田ではナモミ)。ヘズリはそれをはがすことで、怠け者を懲らしめる意味。「ナモミを剥(は)ぐ」からナマハゲに転じた秋田と同じだ。
行事自体は柴垣さんが子供のころを最後に途絶えたが、青森県でこの行事が見られたのはこの下北半島だけという。秋田県のナマハゲのような行事は、他に能登半島(石川県)や山形、岩手県沿岸にもあるらしい。海を渡ってきたのだろうか。
「実は、私の先祖は能登半島からやってきたんです」と柴垣さん。能登半島の柴垣海岸まで旅したこともあるという。そういえば、沿道に「能登」という表札や店の看板があった気がする。他にどんなものが伝わってきているのだろう。
外に出ると、日はすでに暮れている。近くの食料品店の裏から、食事中なのか、家族の笑い声が聞こえた。ナガミヘズリの取材と告げると、なかにもっと詳しい人がいるといって案内してくれた。部屋が熱気で少しくぐもっている。タラ鍋だ。
蛸島敏春さん(74)は懐かしそうに話し始めた。「電灯になって明るくなってからやってない。中身が分かるようになっちゃったからかな」。村議会の副議長をしているそうで語り口も引き込まれる-はずなのだが、視線はタラ鍋に移る。
「食うか?」
遠慮しては失礼だ。切り身に加え、しらこなども入って濃厚な味がご飯に合う。ナガミヘズリの来た後は、こうして鍋を囲んで年長者が子供らを諭していたのかもしれない。子供らが話と鍋、どちらに気を取られていたかは別にして。
蛸島さんらによると、石川県どころか九州から移り住んだ人もいるらしい。充実した取材が果たせたので、お礼を告げて出る。
「佐賀」と書かれた豪邸は車で10分走った下風呂温泉付近にあった。豪邸の主人、佐賀平一郎さん(69)によると、先祖は近世、鍋島藩(佐賀県)の跡目争いから逃れて最後はここ風間浦村に行き着いたという。
佐賀家の近くに奉公人が始めたともいわれる「佐賀旅館」を見つけた。あいにく部屋は満室。だが、ナガミヘズリを持ち出した途端に受付の佐賀典子さん(55)の表情が変わった。実家では小学生時代まで行われていたという。手伝いに来ていた姉の井口二恵子(ふえこ)さん(59)を呼び出して、待合室でナガミヘズリを端緒に思い出談義が始まった。
「大きいくま手のようなのを持ってね、玄関に上がらずにトオリ(土間のようなもの)から家に入ってきておっかないの」
姉妹の先祖は岩手から来たそうだ。会話が弾むうちに、客が食事をしている間なら温泉に入れることになった。
タラ鍋の余韻と熱々の温泉に浸っていると、“ナマハゲ”が日本海を越えて住み着きたくなった(?)気持ちが分かった気がした。
◇
そもそもナマハゲ、ナガミヘズリは鬼なのだろうか?
ギョロッとした瞳、高い鼻に大きい角。秋田県のナマハゲの見た目はいかにも「鬼」。だが、文化庁のデータベースによると、ナマハゲは神々の使者として人々に祝福を与えるのが本来だ。
東北芸術工科大の内藤正敏教授は、民俗学者の折口信夫がナマハゲを「春来る鬼」と冠した論文で紹介したのが影響しているのではないかとみている。同論文ではナマハゲを鬼として紹介するが、なぜ鬼と定義したかの説明はないという。
論文の題が「春来るカミ」だったら…。秋田の観光名物も少し形を変えていたかもしれない。(荒船清太)