リクルート、「じゃらん net」公開 API のケータイ版サービスを開始

1月14日16時23分配信 japan.internet.com

株式会社リクルートは2009年1月14日、同社が運営する国内総合宿泊予約サイト「じゃらん net」の API を公開する「じゃらん Web サービス」のケータイ版を開始した。

「じゃらん net」では、パソコンサイトの開発者・アフィリエイター向けに、2006年6月より「じゃらん Web サービス」を提供してきたが、今後もケータイサイトの利用が高まることが想定されるため、ケータイ版を公開するにいたったという。

ケータイ版では、パソコンサイト用に提供している「じゃらん宿表示 API(アドバンス、ライト)」「空室検索 API」「エリア検索 API」「温泉検索 API」などのサービスを利用可能。なお、パソコン、ケータイサイトともに、API の検索条件は同じとなる。

懐かしの日光ロマンスカー保存へ、安住の地は東武博物館

1月14日15時27分配信 読売新聞

 戦前、戦後の東武鉄道を“牽引(けんいん)”した懐かしの車両2両が、墨田区東向島の東武博物館にこのほど運び込まれ、安住することになった。

 同社第1号の電気機関車「ED4001号」と、戦後初の特急電車「5700系モハ5701号」。

 開館20周年の同館は、昨年12月末から内部改装のため休館中だが、2両は7月のリニューアルオープンの目玉として、鉄道ファンに公開される。

 ED4001号は1930年(昭和5年)にイングリッシュ・エレクトリック社が製造。貨物列車を40年以上引っ張った後、73年に滋賀県の近江鉄道に譲渡され、86年の引退後は彦根駅構内で保存されていた。

 一方、5700系は51年9月に浅草-東武日光・鬼怒川温泉間を結ぶ特急ロマンスカーとしてデビューした。

 戦後、東武が初めて自社設計した車両で、改造される前は、フロントガラス下のヘッドマーク支持金具の形から「ネコひげ」の愛称で親しまれた。戦後の混乱を脱し、観光旅行が復活した頃。国鉄は56年、上野-日光間にそれまでの蒸気機関車に替えて新型ディーゼルカーを走らせて対抗し、激しい旅客輸送競争を展開した。

 ネコひげは5年で急行用に降格。69年以降、91年の引退まで修学旅行などに使われた。展示車両は埼玉県宮代町の東武動物公園駅構内で保存されていた。

 2両とも10メートルを超える長さがあり、東武伊勢崎線東向島駅の高架下にある同博物館への搬入作業は、周辺の道路交通を妨げないよう、夜間に行われた。

 11日午前3時すぎ、大型トレーラーに積載された2両が順次、博物館の隣の小学校の校庭に到着した。日の出後の午前7時から、作業員約50人が移設作業に着手。大型クレーンでつり上げ、約3時間かけて2両を博物館の中庭に移した。

 同館では、東武初の蒸気機関車「5号」「6号」、電車「デハ1形5号」も保存している。東武鉄道では「東武鉄道の歴史を語る最初の蒸気機関車、電車、電気機関車が一堂にそろう。他の博物館にはない展示を目指す」と話している。(伊藤史彦)

【光太郎と智恵子最後の旅】(上)何思い故郷の湯めぐりへ

1月14日8時3分配信 産経新聞

 ■芸術と家庭板ばさみの日々

 彫刻家で詩人の高村光太郎は昭和8(1933)年8月25日の午後、妻、智恵子を伴い、福島県猪苗代町の川上温泉を訪れた。智恵子の実家の菩提(ぼだい)寺、満福寺(当時安達郡油井村、現二本松市)に墓参した後、足を向けたのだった。翌月にかけ、合わせて4つの温泉をめぐる旅の始まりだった。

 智恵子はこのとき47歳。2年前から、精神に変調をきたしていた。光太郎はどんな思いで、温泉めぐりをしたのだろうか。

 智恵子の顕彰活動などをしている二本松市の市民団体「智恵子の里レモン会」の渡辺秀雄会長は「智恵子の病気が悪化してくるのを心配してのことだろう。智恵子は1年のうち4カ月ぐらい実家に帰って静養すると、元気になって帰ってくるというのが続いていた。それで、ふるさとに連れていけば、回復するのではと期待していたらしいですね」と語る。

 『智恵子抄』にみられるように、光太郎の智恵子に対する愛情は痛々しいほどだ。智恵子の精神が崩壊しつつあるのを目にして、光太郎は何とかしたいともがいていたのではないか。

 実は、猪苗代町のほかに、福島市の土湯の奥にも川上温泉がある。だが、研究家は、『山麓(さんろく)の二人』という詩を根拠に、2人が行ったのは猪苗代町の方とみている。

 智恵子が「わたしもうぢき駄目になる」と慟哭(どうこく)する『山麓の二人』の1行目は「二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は」となっている。この情景を奥土湯から望むことはできない。裏磐梯を訪れたことがない者にはできない表現だ。光太郎が智恵子と連名で、智恵子の母、長沼センあてで出したはがきにも「磐梯山下の川上温泉に投宿」とある。

 光太郎と智恵子は「滝の湯」に泊まったとみられている。滝の湯は既に廃業、跡形もなくなっているが、近くに経営者だった磯谷吾妻さんが住んでいた。

 磯谷さんは「明治21(1888)年の磐梯山の大爆発で、このあたりはみんななくなった。祖父が大正初期に滝の湯を作った。当時(高村夫妻が来たころ)は滝の湯1軒だけだった。来る人は大抵、うちへ泊まった」「ここから登っていくと、磐梯山の火口のところに出る」と説明してくれた。

 川上温泉は、磐越西線から約12キロもある。病人の智恵子が歩いたとは思えない。以前、川桁(かわげた)駅から北東部にあった沼尻鉱山までは、硫黄を運ぶ軽便鉄道が走っていた。「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」の安部なか事務局長は「周辺住民や温泉客らが乗っていた。高村夫妻は名家(みようけ)停留所で降りて、タクシーか馬車を頼んで、川上温泉まで行ったのではないか」と推測する。

 智恵子の精神に引き金を引いた原因は何だったのだろう。

 「芸術家同士の夫婦だから、どっちかが自分の芸術に対する時間を犠牲にして家事をしなければならず、どうしてもそれが女性の方にかぶさってくるということが当然考えられる。やりたいができないという精神的な相克が原因だという人もいる。それから、実家が昭和4年に破産した。これが大きく響いているのではないかというとらえ方もある」と渡辺会長。

 光太郎も『智恵子抄』(新潮文庫)に収められている「智恵子の半生」の中で、「(智恵子は)結婚後も油絵の研究に熱中していたが、芸術精進と家庭生活との板ばさみとなるような月日も漸(ようや)く多くなり、(中略)後年郷里の家君を亡(うしな)い、つづいて実家の破産に瀕(ひん)するにあい、心痛苦慮は一通りでなかった」と記している。

 だが、心の裡(うち)のこと。断定は難しい。

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 高村光太郎・智恵子夫妻は昭和8年の8~9月、福島、宮城、栃木3県を訪ね、4つの温泉を回った。智恵子の療養のためだった。しかし、病状はその後さらに悪化。この温泉めぐりは2人にとって、旅らしい旅としては最後になった。2人の旅程をたどった。(土樋靖人)

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 ■高村光太郎 明治16(1883)年、東京生まれ。父は彫刻家の高村光雲。代表作に、十和田湖畔に建つ「裸婦群像」など。詩集には『道程』『智恵子抄』などがある。昭和31(1956)年没。

 ■高村智恵子 明治19年、福島県安達郡油井村(現二本松市油井)の造り酒屋、長沼家の長女として生まれる。福島高等女学校、日本女子大家政科卒。44年、平塚らいてうらが発刊した女性誌『青鞜』創刊号の表紙絵を描く。大正3(1914)年、光太郎と結婚。昭和10年に南品川ゼームズ坂病院入院後は紙絵に没頭する。13年、粟粒性結核で死去。

 ■川上温泉 磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インターチェンジから車で約30分。民宿やペンションなどが点在する。磐梯山への登山口があり、近くには磐梯山の爆発でできた五色沼や桧原湖などの湖沼が多い。

阪神・真弓監督「今年、勝負をかけます」

1月14日8時1分配信 サンケイスポーツ

 阪神・真弓監督が13日、有馬温泉で開かれた1985年の日本一と87年の最下位を経験した阪神OBの親ぼく会「天地会」の会合に出席し、必勝を誓った。「トシを重ねるごとに監督は難しい。毎年、疲れが残るから。長くやるより今年、勝負をかける。南球団社長からも『育てながら勝て』ではなく、『勝ちながら育てろ』といわれている。勝負をかけようと思っている」。2年契約だが気持ちは背水の陣。優勝&世代交代の同時達成を約束していた。

「ミスこけし」ついに中止 大崎市予算化せず

1月14日6時13分配信 河北新報

 鳴子温泉など宮城県大崎市の観光宣伝を担う「ミスこけし」を選ぶミスコンテストが、新年度以降は実施されないことが13日までに決まった。昨年6月に実施したコンテストの応募者が低調だったことや、ミスコンテストを女性蔑視(べっし)ととらえる風潮の定着、財政難などが背景にある。

 コンテストは、旧鳴子町時代から始まり約30年続いてきた。任期は2年で、多いときには5人のミスが活動していた。
 中止の発端となったのは、15代目のミス2人を決定する2008年度のコンテストだった。応募者は2年前の108人から、33人に激減した。

 コンテストには、賞金やミスこけしの活動費などで約300万円の費用がかかっていて、昨年11月に行われたコンテスト実行委員会でも、「限られた予算を他のことに使った方がいい」「ミスコンテストに対する批判もあり、もうやめてもいいのでは」などの声が上がった。

 これを受けて大崎市も新年度予算にコンテスト関連費用を盛り込むことを見送る方針を固め、コンテストの中止が決まった。大崎市鳴子総合支所観光農政課は「社会情勢を踏まえた結果」と説明している。

温泉プラスαの“温泉テーマパーク”で身も心もリフレッシュする!

1月13日15時22分配信 RBB TODAY

 BIGLOBEの温泉旅行情報サイト「BIGLOBE温泉」では、今人気の温泉をテーマにしたレジャー施設を紹介する「温泉テーマパーク特集」を開始。おすすめポイントやユーザのクチコミを紹介している。

 「温泉テーマパーク特集」では、スパリゾートハワイアンズ(福島県)、長島温泉 ナガシマリゾート(三重県)、大江戸温泉物語(東京都)など、今人気のある全国の“温泉テーマパーク”施設9ヵ所を厳選して紹介。遊園地やプールなど温泉テーマパークに付設されている施設のおすすめポイントやユーザのクチコミ情報を紹介し、温泉テーマパーク選びや冬のレジャーを検討している人に有用な情報を提供している。温泉宿やホテルではなく、子供も楽しめるテーマパークを併設した温泉で、家族全員で楽しめる温泉旅行にうってつけの施設だ。

「難関突破」「初志貫徹」-トンネル貫通石の合格祈願お守り配布

1月13日15時15分配信 広島経済新聞

 NEXCO西日本中国支社(広島市安佐南区)は1月10日、島根県内のトンネルが貫通した際に採取した貫通石のお守りの配布を受験シーズンの受験生向けに始めた。

 配布するのは、2010年3月までの開通を目標としている山陰自動車道斐川(ひかわ)IC~出雲IC(仮称)間で、昨年9月に貫通した延長2,986メートルの仏経山トンネル(簸川(ひかわ)郡斐川町大字直江町~同町大字上出西(かみしゅっさい)で採取した貫通石。トンネルが貫通した最後の発破地点で採取し、古くから安産のお守りとして珍重される貫通石は、最近では「難関突破」「初志貫徹」としても用いられている。

 同社は、昨年2月「大津トンネル」(島根県出雲市)と8月「姉山トンネル」(出雲市)貫通の際にも貫通石の配布を行っており、今回は3回目。8月は松江市宍道湖岸で行われた「松江水郷祭」で配布し、「学生や妊婦の方が多かった」(同社総務企画部広報の美里ゆかりさん)という。

 1~2センチに砕いた貫通石は、仏経山トンネルの概要などが記された名刺サイズの説明書と一緒に透明の袋に封入される。貫通石は、学問の神様として知られる菅原天満宮(松江市)のおはらいを受けている。配布は1,000個限定で島根県内のサービスエリアと料金所、玉造温泉ほか7カ所で行う。

 問い合わせは同社松江高速道路事務所(TEL 0852-25-7860)まで。

箱根の温泉に行ったRain(ピ)が、次に日本でやりたいことは?

1月13日14時28分配信 @ぴあ

1月7日に5枚目のアルバム『RAINISM』をリリースした韓国のアーティスト、Rain(ピ)が、ファンミーティングのために来日し、東京公演が行われる直前に記者会見を行った。

2年ぶりのリリースとなったアルバム『RAINISM』は、全収録曲の制作全般とプロデュースに初めて参加した作品。昨年10月に韓国でリリースされるや各ミュージックチャートで1位を独占した。この日のファンミーティングでは、「アルバムのイメージにあわせて、ジェントルな衣装をお見せできると思います」と語った。

また、6か月前に来日したときに箱根の温泉に行き、夢がひとつ叶ったという彼。「いつかバイクに乗って日本中を旅してみたい。そして、このことを旅行記として1冊の本にまとめたいです」と次の夢を明かした。

ファンミーティングは1月14日(水)にグランキューブ大阪で開催。今後は、春にライブを計画中。また、主演映画『ニンジャ・アサシン』は今年公開を予定している。

遊ナビ・イベント館:第18回はるな梅マラソン--3月8日 /群馬

1月13日12時1分配信 毎日新聞

 ◇TAKASAKI CITY第18回はるな梅マラソン--榛名山を望む丘陵地を走る
 「TAKASAKI CITY第18回はるな梅マラソン」(同実行委主催、毎日新聞前橋支局など後援)が3月8日開催される。1月31日まで、参加者の申し込みを受け付けている。
 同マラソンは、高崎市上里見町の榛名文化会館エコール前をスタート・ゴールに、榛名山を望む丘陵地を走るコース。とくにハーフマラソンは烏川沿いを川音を聞きながら走れるとあって人気が高い。榛名地域は日本有数の梅の産地として知られ、沿道にも多くの梅の木がある。
 ハーフマラソン・11キロ・5キロ・3キロ・2キロの5コースと、男女・年代別、親子や夫婦ペアなどの組み合わせで計21部門がある。「飛び賞」が設定され、榛名温泉ゆうすげ元湯のペア宿泊券や榛名特産果物セットのクーポン券などが贈られる。
 参加料は一般2500円、小中学生1000円、親子、夫婦ペア3500円、スポーツウラーキング2000円。申し込みは所定の申込用紙に記入して郵便局で参加費を振り込むか、インターネットhttp://runnet.jp/から。問い合わせと申込用紙の請求は、実行委事務局(027・360・8111)へ。【増田勝彦】