170m走り振り落とし男性死亡 男ら2人を逮捕 京都

京都府福知山市で、アパートに侵入して逃げようとする男の車を止めようとした男性が車に振り落とされて死亡した事件で、警察は男ら2人を殺人などの疑いで逮捕しました。

 逮捕された井上慎伍容疑者(23)と小柳憲士郎容疑者(22)は16日午前5時過ぎ、福知山市のアパートの一室に風呂場の窓から侵入したのを住人の男性に見つかって車で逃げようとしました。この際、車を止めようとした北野孝さん(59)をボンネット付近に乗せたまま170メートル走った後、振り落として北野さんを殺害した疑いが持たれています。井上容疑者らは16日午後、警察に出頭しました。調べに対し、「知人が住んでいると思って、間違えて部屋に入った」と供述しているということです。また、逃げる際に住人の男性に「誰や!」と一喝され、「やばいと思って逃げた。男性がしがみついていたので振り落とした」と供述し、容疑を認めているということです。

気軽に送信、ちょっと待った! 人柄映す携帯メール 人間関係トラブルのもとにも

学校やPTAの連絡から井戸端会議的な内容まで、親同士のコミュニケーションに欠かせない携帯メール。便利だが、人間関係のトラブルのもとにもなっている。失敗しないコツを、達人に聞いた。(井上圭子)

 「娘の友達の母親から『今度の担任、ハズレだよね』とメールが来たので、軽い気持ちで『あの先生○○らしいよ』とうわさ話を確認せずに返信したら、それが私の情報として勝手に大勢の保護者に転送されちゃって」

 小学生の子どもを持つ東京都内の母親(39)が反省を込めて言う。話に尾ひれがつき、子どもたちにも伝わってクラスは新学期早々、学級崩壊の危機に。結局、うわさは事実ではなく、担任との関係はギクシャクしたままだという。

 「うわさや悪口、愚痴、私的な相談、意見など、第三者に見られて困る内容は絶対に送らない方が良い」と、「気持ちが伝わる ケータイメール術」(日本放送出版協会)の著者でコミュニケーション・インストラクターの杉山美奈子さんはアドバイスする。

 携帯メールは簡単に複数の人に転送できるので、文面が“証拠”として残りやすい。悪口に限らず、携帯メールの文章は短めになりがちで、安易に書かれやすいことから、微妙なニュアンスまで正確に伝わるとは限らない。読み手が不快に思っても、送り手は感じ取ることができず、釈明や謝罪も難しい。

 「『メール好感度』を格段に上げる技術」(新潮新書)の著者でライターの神舘(こうだて)和典さんは「事務連絡か、『ありがとう』。携帯メールの用途はこれだけにすると失敗がない。感情はタブー」と話す。

 携帯メールとはいえ、受け手がリアルタイムで読むとは限らない。「『子どもが熱を出したので今日のバーベキューは行けません』など、急ぐ内容は電話が確実」と杉山さん。

 パソコンメールと違い、データ量に応じて受信者側にもパケット代が課金されるのも携帯メールの特徴だ。添付写真や動く絵文字を盛り込んだ文面を良かれと送っても、受け手の料金プラン次第では迷惑をかける。「相手の料金体系がわからないなら、添付写真や装飾の多いデコメールをむやみに使わないこと」(杉山さん)

 絵文字や顔文字も場合によってはニュアンスを伝えるのに役立ちそうだが、使い方を間違うと逆効果になる。

 神舘さんは「携帯メールを使い慣れている若い世代は全体のバランスを考えて自然にちりばめられるが、慣れない世代がそのノリに無理して合わせた文面は痛々しい。むしろ堂々と文字だけのメールの方がカッコ良い」と話す。杉山さんは「多めに入れてくる人には多めに、少ない人には少なめにと、関係性や状況によって使い分けて。違う機種間では文字化けする可能性もあるので、大切な内容は文字で伝えて」と忠告する。

 やりとりがダラダラと続いて困ったら、最初に送った人から切り上げる。「おやすみなさい」「そろそろお風呂に入らなきゃ」など、結びを感じさせる言葉で切り上げよう。

 「気楽に送れる分、性格や人格まで現れてしまうのが携帯メール。文章は自分の分身だと思って、送信する前には必ず読み返して」と神舘さんは強調した。

風呂代惜しい…京大病院“バス”ジャック

せっけんにシャンプー、タオルを持って病院通い-。京都市の京都大病院の入院患者用浴室を無断で使ったとして、京都地検が建造物侵入の罪で、同市北区に住む無職友田潔志被告(56)を起訴していたことが13日、分かった。京都府警が4月に現行犯逮捕していた。府警によると、友田被告は「お金がなく、風呂を沸かすのがもったいなかった」などと供述しているという。また、同被告は供述調書に弟の名前を記入したとして同日、署名偽造などの疑いで再逮捕された。

 府警によると、友田被告は4月20日の夕方、京大病院の北病棟4階にある患者用浴室に無断で入っているところを現行犯逮捕された。2~3人は入れる広めの湯船に1人でつかっている同被告を、入浴しようとした男性患者が発見。入院患者を識別するためのリストバンドをしていないことを不審に思い、看護師に報告した。

 警備員が浴室に駆け付けたところ、友田被告は脱衣スペースのいすに座り、湯気を立ち上らせながらくつろいでいたという。患者ではないことを確認した警備員が取り押さえ、警察に通報した。府警によると、友田被告は「お金がなく、風呂を沸かすのがもったいなかった。大きい病院なら簡単に侵入できると聞いた」と供述。所持品は使用済みのせっけん、シャンプー、タオルなどで、現金は約3000円を持っていた。

 北病棟4階は神経内科や放射線治療科などが入り、基本的に病院関係者以外立ち入り禁止。友田被告は一般外来から入り、見舞客を装って病棟まで侵入した。病院関係者によると、入院患者の入浴日は男女日替わりで、男性は火、木、土曜日。時間も午後1時から同5時までと決められているが、この時間帯なら自由に入れるという。“お風呂セット”持参といい、病棟侵入の手際のよさといい、友田被告は事前に下調べし、入浴機会を狙っていたとみられる。

 京大病院は病床数1182床、外来患者ら1日平均約2600人が訪れる大病院。病院関係者は「見舞客は必ず受け付けをすることになっているが…。とにかく初めてのことなので驚いている」と話した。

 府警によると、友田被告は独身で、病院から車で15分ほどの借家に1人で暮らしていた。家には風呂もあるが、ガス代と水道代をケチり、公園で水浴びすることもあったという。「他の病院にも行った」とも供述しており、府警では常習の可能性もあるとみて調べている。また同被告は、供述調書に米在住の実弟の名前を偽って記入。逮捕後も悪あがきを続けていたが、湯ざめしたのか、今ではすっかり反省している様子という。

古い旅館改修、町のにぎわい 留学生寮一役

留学生に格安の家賃で住居を提供しているNPO法人「国際下宿屋」の寮が、佐賀市中心部にある松原神社の門前町にオープンした。かつて経済の中心地としてにぎわった参道沿いで、閉館した旅館を下宿屋が改修し、5月から佐賀大の留学生が住んでいる。空き店舗に悩まされている地元商店主の人たちも、町がにぎやかになると期待している。(吉村治彦)

 国際下宿屋は2003年に佐賀大の教員らによって設立された。苦学生が多く、下宿先を見つけるのが大変な留学生たちに部屋を貸している。取り壊し直前だった県の職員寮や、古いアパートを下宿屋が借り受けて寮に衣替えし、1万円前後で留学生たちに貸し出している。

 松原神社の門前町にできた寮は、1967年に建築された旅館の建物を下宿屋が改修した。建築基準法や消防法をクリアするために屋根のひさしを削ったり、防火壁を設けたりして約600万円の費用をかけたという。

 敷地にえびす像があることから、名称は「えびす寮」。木造2階建てで12部屋。広さは7畳と4畳半で風呂やトイレ、台所は共用。家賃は8千円から1万3千円で、現在、2人の学生が住んでいる。

 佐賀大文化教育学部の4年生で、中国から留学しているカン・ケイケイさん(25)は「部屋が広くて寮は快適。慣れれば、地元商店街の人たちとも交流したい」と話す。来日する留学生が多い9月ごろには入居者が増える見込みという。

 松原神社の門前町は約200メートルほどの参道で、商店経営者らが、市民グループを結成して町の活性化に取り組んでいる。門前町は、明治から昭和初期にかけ、近くに米穀取引所があったことから、九州各地から商人らが訪れ、旅館が軒を連ねていたという。

 しかし、現在は人通りが少なく、旅館も相次いで閉鎖され、空き店舗が目立つようになった。えびす寮が入った旅館の建物も、この20年ほど使われていなかったといい、佐賀大名誉教授の甲本達也理事長が寮として利用することを思い立ち、土地の所有者や商店主たちに相談し、賃貸が可能になった。

 下宿屋はえびす寮を含めて7カ所で寮を経営している。寮の経営を始めるにあたっては、外国人を警戒する地元住民から反対を受けて説得に一苦労することも多いが、甲本理事長は「えびす寮は、商店主の人たちが歓迎してくれた。町のにぎわいづくりに貢献したい」と話す。

 門前町の参道で飲食店を経営し、町内会の班長を務める川松広栄さん(78)は「人通りを増やしたいので、留学生たちが来てくれるのはありがたい。門前町も国際色豊かになり、楽しか町になる」と歓迎する。商店主たちと留学生との交流パーティーも計画しているという。

皮膚難病魚鱗癬に理解を

メッセージタオル販売 温泉入浴資金に
 皮膚の難病で見た目などから公衆浴場を使いづらい患者に温泉を楽しませたいと、患者の家族らでつくる会が病気への理解と支援を求めるメッセージ入りのタオルを製作した。一般への販売を本格化し、集めた益金で施設を貸し切って患者の希望をかなえようと活動している。(板山康成)

 タオルを販売するのは、患者21人と家族でつくる「魚鱗癬(ぎょりんせん)の会」(事務局・北九州市小倉南区)。魚鱗癬は皮膚が乾き、魚のうろこ状になる皮膚病で、2009年度から先天性魚鱗癬様紅皮症が国から研究費などが出る難治性疾患(難病)に指定された。感染はしないが、皮膚がはがれるため、他人の目が気になり、ほとんどの患者が温泉につかった経験がないという。

同会代表の梅本千鶴さん(52)は「患者たちが気兼ねせずに入れる大きなお風呂があれば」と話し、貸し切りに応じてもらえる温泉施設の協力を呼びかけている。

 タオルは120センチ×42センチのスポーツタオルサイズ。「私たちの病気を知ってください」とのメッセージと、体温調節が苦手な患者が「強い日差しに負けない」という気持ちを込めた会のシンボルマーク、ヒマワリがあしらわれている。

 1枚1000円で販売し、このうち300円を温泉の貸し切り代に充てる予定。毎年5月、同会の交流会がある宗像市の多目的スポーツ施設「グローバルアリーナ」で購入でき、今月末からは会のホームページ(http://www.gyorinsen.com/)でも販売する。これまでに自治体やスポーツ団体などから400枚を超える購入があったという。

 「来年の交流会で、全国から集まるみんなと一緒に温泉に入れればうれしい」。患者で梅本さんの長男、遼さん(14)はこう話し、「1年で2000枚は売りたい」と意気込んでいる。

 問い合わせは事務局の梅本さん(093・982・2128)へ。

(2010年5月12日 読売新聞)

大名行列の秘密 [著]安藤優一郎

■江戸の経済は参勤交代で回っていた

 大名行列というのは単に大名のおでかけスタイルであって、歴史上重要とかそういうもんじゃないだろう。時代劇のにぎやかし。

 それがちがった。江戸は毎日、おっそろしい数の大名行列がそこらじゅう歩き回り、社会・経済への影響もすこぶる大だったという。

 その実際を徹底解剖しているわけだが、人員構成から人足・家臣の日当、道中購入した日用品、休憩時の茶代、宿代の値切り額まで調べも調べたり、このデータが実に興味深い。途方もないのだ。

 人数はおおむね150~300人(加賀百万石の前田家はなんと4000人だ)。内訳が家臣や人足に加え、料理人、飲み水に漬物石、大工、鷹と鷹匠、替えの駕籠に替えの馬、風呂桶に携帯トイレ等々。なんでそこまで持っていくか。

 江戸までの旅費。藩によって違うが今のお金で2億、3億、紀州徳川家に至っては13億円。1年の江戸の生活費が、これまた藩の年間経費の半分以上という巨額。

 江戸の登城日には二百もの大名が一斉に“出勤”する。想像するのもオソロシイ大混雑。これだけいれば従者目当てに物売りが来る、食い物屋が来る、博打が始まる。ほかにも行列向けの人足派遣業あり、全国の大名情報を満載した便利マニュアルの販売ありで、大名ビジネスが大繁盛。要するに江戸の経済ってのは、大名行列さまさま、大名行列がなくちゃ回らなかったということがわかってくる。

 政治の流れがどうこうより、モノや数字で見ていくと当時の日本の風景、人々のありようが驚くほど鮮やかに浮かび上がってくるのが面白い。大名行列のしち面倒なしきたりや道中起こしたトラブルの数々、財政難で余儀なくされるセコい倹約。それでも大名のプライドがかかったものゆえに、みんな頭をかきむしりながら任務遂行に右往左往していた。人のおかしみがにじみ出る。

 竜馬だ信長だと歴史を動かした英雄の話もいいけれども、こういう歴史の掘り起こし方はたいそう魅力があって、私は好きである。

島の歴史 風化させぬ

■岡山でハンセン病市民学会

 ハンセン病への国の対応や課題を考える「ハンセン病市民学会」の第6回総会・交流集会が8日、岡山市内のホテルで開かれた。約千人が参加し、「島は語る」をテーマに、療養所の入所者が島での生活や、偏見と闘ってきた歴史について語った。(保田達哉)

■偏見との闘い 語る

 市民学会は2005年に設立。ハンセン病問題を風化させないため、毎年、各地の療養所などで総会・交流集会を開いてきた。今年は初めて岡山が会場となった。

 対談には入所者2人が登壇した。瀬戸内市邑久町の国立療養所「長島愛生園」で1936年から暮らす加賀田一(はじめ)さん(92)は、入所者が施設側に待遇の改善を求めて、ストライキやデモを決行した「長島事件」を説明。「園長との協議の場にいくと、ヤジや怒号が飛び交っていた」と当時の様子を語った。事件は和解し、入所者でつくる自助会ができたという。

 国の隔離政策を批判し、「官僚は先輩のつくった法律だからと、誰も問題を指摘しなかった。相手が先生であろうが先輩であろうが、間違っていると言える人になってほしい」と語気を強めた。

 1952年に長島愛生園に入所した金泰九(キム・テ・グ)さん(83)は、入所者の1割が在日朝鮮人だったことに驚いたという。「入所時に消毒液の入った風呂に入れられ、所持金も奪われた」と振り返った。いまだに偏見が残っているとし、「ハンセン病を正しく理解してほしい」と訴えた。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会の神(こう)美知宏事務局長(76)によると、全国13療養所にいる入所者約2400人の平均年齢が81歳で、年に約150人が亡くなっているという。神事務局長は療養所の将来構想について、「入所者が1人もいなくなっても、国の負の遺産として、博物館や資料館として残すよう求めていく」と話した。

 9日は長島愛生園と近くにある邑久光明園、高松市の大島青松園に分かれて分科会があるほか、岡山の2療養所では園内を見学できる。

ドライビングスポット:但馬8湯巡り ほっと湯ったり ふれあい温泉おじろん /兵庫

◇秘境の趣、格安で 清水で手打ちそば
 国道9号小代口交差点から、田植えが始まった小代(おじろ)の谷を約6キロさかのぼる。山に抱かれ、久須部(くすべ)川のほとりにたたずむのは「ふれあい温泉おじろん」(香美町小代区大谷)だ。

 茶褐色の湯で満たされ、露天風呂は川のせせらぎと野鳥のさえずりが時間の経過を忘れ去れさせてくれる。入浴料金は大人300円、子ども(小学)150円と格安だ。「遠くから何度も来てもらい、小代の魅力に触れてもらうために引き下げました」と邊見八郎総支配人。「銭湯より安い日帰り温泉」の狙いは当たり、来館者は大幅に増えた。

 冬はスキー、夏は合宿でにぎわうが、小代の良さを満喫するには新緑の春や実りの秋をすすめたい。この季節は、川沿いのあちこちに山菜が顔をのぞかせ、流れに足を浸すのも心地よい。館内に昨年8月開いた「本格手打そば藤村」は、清らかな水を使って打ったそばと地元産の季節の野菜を使ったメニューで評判だ。

 久須部渓谷や吉滝まで足を伸ばせば、そこはスギやケヤキの巨樹が生い茂った秘境。森林浴や渓流釣りでリフレッシュしたい。

 午前10時~午後9時。月曜定休。電話0796・97・3232。

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 「ほっと湯ったり但馬 温泉スタンプラリー」は、但馬地域の八つの日帰り温泉施設を巡るイベント。8カ所すべてに入浴してスタンプを集めると、宿泊券や特産品が当たる抽選に参加できる。6月末まで次の施設で実施中。七釜温泉ゆ~らく館(新温泉町)▽リフレッシュパークゆむら(同)▽湯村温泉薬師湯(同)▽かすみ・矢田川温泉(香美町)▽ふれあい温泉おじろん(同)▽とがやま温泉天女の湯(養父市)▽シルク温泉やまびこ(豊岡市)▽よふど温泉(朝来市)

水道水風呂でも利用者増

下松市笠戸島の「国民宿舎大城」の温泉くみ上げ用ポンプの復旧が遅れ、沸かした水道水での風呂の営業が続いている。ただ、復旧までの暫定的な料金引き下げの効果か、日帰り入浴客は微増となっている。

 温泉は2005年12月から営業。大浴場と海を一望できる露天風呂があり、年間約8万4千人の日帰り入浴客が訪れる。

 深さ約1500メートルから源泉をくみ上げるポンプ設備は1月18日、交換作業中にパイプ部分が破損した。市は復旧まで温泉成分が含まれないことのお知らせとおわびを掲示したうえで、同21日から日帰り入浴料を値下げ。大人500円(島民と75歳以上の市民400円)は200円、小学生300円と幼児200円は各100円としている。

 値下げ後の利用客は2月7882人(昨年同月比75人増)、3月8124人(同115人増)と微増。4月も集計済みの25日までで計6474人が利用した。4月は1日259人が訪れた計算で、昨年4月の1日平均を25人上回るペースとなっている。

虐待の厳罰化訴え、神戸と川崎で主婦ら署名集め

こどもの日の5日、幼い子の命を守ろうと、神戸市と川崎市の駅前で、主婦らが児童虐待の厳罰化などを求めて署名集めをし、親子連れのほか、高齢者から高校生まで幅広い年代の人たちがサインした。

 街頭署名は、大阪市西淀川区で昨年4月、松本聖香さん=当時(9)=が母親らの虐待で衰弱死したとされる事件を機に始まった「ひまわり署名プロジェクト」(成田浩子企画人)が実施。虐待致死傷罪の制定や児童相談所と警察の連携強化などを訴えている。

 神戸市須磨区の市営地下鉄名谷駅前では、子育て中の母親らが街頭で、イベントに子供を連れて来た父母らに署名を呼びかけた。

 署名に協力した9歳と5歳の娘を持つ神戸市須磨区の保育士の女性(39)は、「職場で服がいつも同じだったり、お風呂に入れてもらってなかったりする子供を世話した経験がある。同じ親として悲しかった。少しでも力になりたいと署名しました」と話していた。