21日午前8時5分ごろ、仙台市青葉区北山3、会社員、青木三千雄さん(57)方から出火、木造2階建てアパート1部屋など計約16・4平方メートルを焼いた。青木さんは風呂場で発見され、市内の病院に搬送されたが約5時間後に死亡が確認された。
仙台北署によると、青木さんは1人暮らし。2階の男性(36)が火災警報器の音や煙で燃えているのに気付き、119番通報したという。居間周辺が激しく焼失しており、出火原因を調べている。【垂水友里香】
21日午前8時5分ごろ、仙台市青葉区北山3、会社員、青木三千雄さん(57)方から出火、木造2階建てアパート1部屋など計約16・4平方メートルを焼いた。青木さんは風呂場で発見され、市内の病院に搬送されたが約5時間後に死亡が確認された。
仙台北署によると、青木さんは1人暮らし。2階の男性(36)が火災警報器の音や煙で燃えているのに気付き、119番通報したという。居間周辺が激しく焼失しており、出火原因を調べている。【垂水友里香】
八ツ場(やんば)ダム建設による水没予定地にある川原湯温泉(群馬県長野原町)で20日開催された「湯かけ祭り」。ダム問題に翻弄(ほんろう)されてきた住民が「何よりも大切にしたい」と口をそろえる奇祭に、記者も参加した。凍えるような寒さと男たちの熱気に包まれた祭りの舞台裏を追った。(時吉達也)
辺り一面を暗闇が覆う午前4時半。会場となる湯元の共同浴場「王湯」入り口で受付を済ませると、赤色の手ぬぐいとふんどし、足袋を手渡された。脱衣場を出て、「紅組」の待機する男湯に向かう。すでに十数人が浴槽につかり、中には“前夜祭”の影響か、顔まで赤く染まった面々も。
寒さに震える手で日本酒を飲み干した男たちから、次第に「お祝いだ、お祝いだ」のかけ声が始まる。午前5時を過ぎ、湯かけ会場で演奏されていた太鼓の音が鳴り止むと、樋田修一さん(41)が浴室いっぱいに歌声を響かせた。
♪ヤァー 正月二十日にゃどなたもおいで
サテ 上州川原湯湯かけの祭り ソレ-
往時は温泉街に大勢いた芸者が歌ったという「川原湯湯かけ音頭」。全員が手拍子を合わせ、一体感が高まる。
川原湯温泉観光協会によると、かつては川原湯地区の男衆のみで行われてきた祭りだが、今回の参加者約60人のうち、地元住民は半数弱。その他は同町の他の地区の住民、常連の観光客、国土交通省職員などさまざま。ダム問題の長期化に伴い、住民の地区外流出が続いたことなどが背景にあるという。
初めての参加者も多く、ややぎこちなかった空気も徐々に和み、満を持して紅組大将、金子勝美さんが登場。「行くぞ」。湯をくんだおけを手に、多くの観客が待つ屋外に飛び出した。
白組から次々に浴びせられる湯。鋭いしぶきを目に受けると、前を向けないほどの痛みが続く。あわてて顔をよければ、湯は鼓膜を直撃。負けじと応戦し、全力でおけを振り切る。
「戦場」と風呂場を往復すること十数回。午前6時半、集合した紅白両陣営から、この日一番のかけ声が響き渡る。一斉に湯が天高く放たれ、祭りは終わった。
◇
午前7時。終了後の打ち上げ「直会(なおらい)」は、高山欣也町長をはじめ関係者であふれた。
幼少のころから祭りに携わってきた水出耕一さん(55)は「ダム建設をめぐり、住民が反対と容認に分裂して対立した時代にも、湯かけだけはみんなで力を合わせた。今日ばかりは、国土交通省ともケンカしないよ」。国交省八ツ場ダム事務所の土屋秀樹さん(47)は「いろいろといわれるが、私は川原湯が好き。川原湯の生活再建を支えたいという気持ちだけ」。激動の数カ月をしばし忘れ、祭りの余韻に浸っていた。
政府のダム建設中止表明から約4カ月。24日には地元住民と前原誠司国交相との初の意見交換会が予定されるなど、ダム問題に揺れる日々が続く。川原湯温泉旅館組合の豊田明美組合長は訴えた。「政府に、川原湯のことをもっと知ってほしい。前原大臣も祭りに参加してくれないかな。特製のふんどしを用意するからさ」。
災害時に家庭の井戸水を生活用水として活用しようと、姫路市の野里地区連合自治会(金井利孝会長)が井戸をしるした防災マップのパネル製作に取り組み、1月中に81枚を設置する。江戸時代からの町家が残る同地区には多くの井戸が現在でも使われており、役員らは「阪神・淡路大震災や佐用町の水害では、水道の復旧に時間がかかった。地域に眠る豊かな資源を活用できるように備えたい」と話している。
同自治会は、山崎断層帯地震などの大規模災害時に、公的機関が混乱しても地域で自立して助け合うことを目標に、2008年度から防災活動を始めた。08年秋には電気、ガスの寸断を想定し、野里小学校で炊き出し訓練を実施。大きな鍋がある家を探し、倒壊家屋の廃材に見たてた木材をくべて食事を作った。
次の課題は水の確保。野里地区では町家の中庭などに井戸が掘られ、今でも飲用や風呂、洗濯に使う人は珍しくないというが、市が1998年から募集を始めた災害時市民開放井戸にはわずか11カ所しか登録されていなかった。
昨年9月に連合傘下の29自治会を通じて井戸探しを呼び掛けると、49カ所が新たに登録に応じた。自治会では井戸に加え農業用水など、地域の水資源をしるした詳細な地図にし、地区内を81枚に分けてパネルを製作。2月までに街角の掲示板に張り終えるという。
金井さんは「井戸を探す中で役員が災害弱者と顔見知りになったり、住民の防災意識も高められたりと一石二鳥。近隣の井戸を共有して使えば、まさに“井戸端会議”で水以外の助け合いも生まれるきっかけになるのでは」と期待している。
(直江 純)
【災害時市民開放井戸】
災害時に井戸水を水洗トイレや風呂などに使う生活用水として開放する制度。災害時は水質が変化しやすいため、原則として飲用には使わない。姫路市では無料で水質検査が受けられ、現在1518カ所が登録している。
葬儀の際に遺体を清めるなどする湯灌(ゆかん)師、納棺師の中村典子さん(46)=豊橋市森岡町=が、現場で体験したエピソードや思いをまとめた本「ご遺体専門美容室~死の現場から~」を執筆した。1月下旬、全国の書店で発売される。
「多くのご遺体に触れるうち、死は忌み嫌うものではなくて、次の世代に受け継ぐ命の通過点と感じるようになった。ありのままに心の動きを伝えたい」。映画「おくりびと」でぐっと身近になった葬儀の仕事だが、従事者の声が届く機会は、まだ少ないとの思いがある。年間1000体を超える遺体を送り出す現場での出来事や、遺族との交流もつづった。
中村さんは、会計事務所職員だった6年前、求人情報で湯灌師を知り、転職を決意。1年間の研修を経て、岡崎市に湯灌会社「エンゼルサービス」を設立し、スタッフ4人とともに三河地方全域と静岡県の一部で“おくりびと”を務めている。
映画に登場したようなきれいな遺体ばかりではない。事件や交通事故、孤独死後の時間経過などで、激しく傷ついた遺体にも対面する。
それでも「お葬式の主人公は、亡くなった方。誰よりもおしゃれをして、最高に素敵な姿で旅立ってもらう」と中村さん。「美容室」を名乗り、風呂でさっぱりした故人を、美しく化粧して納棺する。本では、湯灌師を志す仲間が増えることも期待して、仕事ぶりも紹介した。
B6判94ページで、1200円。中村さんの意志で、印税は全額、児童福祉施設に寄付するという。(問)発行元のウィッシュ・パブリッシング=電0564(23)1135
(中野祐紀)
16日午後9時45分ごろ、前橋市馬場町の養豚業吉沢清一さん(55)方から出火し、木造2階建て住宅と、隣接する車庫の計約430平方メートルが全焼し、駐車しておいた軽トラックを焼いた。自宅にいた家族5人にけがはなかった。大胡署によると、まきで沸かす風呂場の近くが激しく燃えているといい、同署で出火原因を調べている。
近くの女性(61)は「竹がバンバンと焼ける音で気づいた。10メートルくらい火柱が上がっていて、夜空を焦がすとはこんな感じかと思った」と話した。
新型インフルエンザが、16日から始まる大学入試センター試験に臨む受験生の脅威となっている。センター試験の会場となる京都大(京都市左京区)で15日、下見に訪れた受験生に聞くと、初詣でなど外出を控え、マスクやうがい薬を常備し、ランニングで体力づくりをするなど、感染予防のための細かい気配りが垣間見えた。
約1800人が受験する京大では朝から会場の設営作業が始まった。会場の教室前にはアルコール消毒液が置かれ、下見の受験生もマスク姿が目立った。
男子高校生(18)は「マスクはどこに行くにも欠かせない。うがい薬も持ち歩き、学校や外出先でうがいしている。バスや電車も避けたいので、下見もためらった」と足早に帰路に就いた。
教員志望という男子高校生(18)は「毎朝ランニングを続けており、今朝も1時間走った。体力があればインフルエンザにもかからないと思う」。
家族も受験生を気遣う。女子高校生(18)の下見に付き添った母親(54)は「ビタミンCの多い果物を多めにし、食事の栄養バランスを考えている。万全の状態で試験に臨んでほしい」と語った。
既に新型インフルエンザに感染した受験生もいた。京都市内の予備校生(19)は「注意していたのに年末にかかった。2日ほど勉強できなかったが、今でなくてよかった。マスクとうがいは心がけているので、ひと冬に2度もかかることはないだろう」と笑った。
■受験生のインフルエンザ対策は…(15日、京都大で)
18歳男現役 外出先にうがい薬を持参し、うがいを繰り返す。
18歳男現役 勉強部屋にぬれタオルをつり下げて空気の乾燥を防ぐ。
18歳女現役 人込みを避け、電車やバスにもできるだけ乗らない。
19歳男1浪 昨冬かかった。気合で乗り切る。
18歳男現役 毎朝ランニング。今朝も1時間走った。
19歳女1浪 予備校の自習室は使わず、早く帰宅して自宅で勉強する。
18歳女現役 厚めの服装。ゆっくりと風呂につかる。
18歳男現役 ここ数年は風邪をひかず。いつも通りの生活で。
18歳女現役 人込みを避ける。初詣でにも行かず。
19歳男1浪 年末にかかった。ひと冬に2度もかからないだろう。
「大相撲初場所5日目」(14日、両国国技館)
横綱朝青龍に土がついた。不戦敗を除き、過去5戦全勝だった平幕豪栄道に土俵際で引き落とされ、昨年夏場所3日目の安美錦戦以来、25個目の金星献上となった。横綱白鵬は雅山を寄り切り無傷の5連勝。平幕の稀勢の里も無敗を守った。大関琴光喜は豊ノ島を寄り切って初日を出した。
◇ ◇
完勝のはずだった。左を差し、右をおっつけ、朝青龍の流れで、あっという間に豪栄道を追い詰める。あとひと押しで土俵外へ追いやるだけ…。そう思った瞬間、目の前から敵の姿が消えた。体を1回転させて逃げた豪栄道を追い切れず、支えを失った体はそのまま土俵に落ちた。
飛び交う座布団の中、薄ら笑いを浮かべて控えに下がる。悔しさから、土俵のふちを軽くたたいた。帰り際には付け人に「勝ったと思ったんだけどな」とポツリ。豪栄道の金星獲得インタビューを放送するテレビモニターをにらんだ。初金星だということを確認すると「チッ」と舌打ちし、風呂場へ向かった。
詰めを誤り「最後までだめ押しするぐらいの気持ちにならないとだめだな」と振り返った。入幕直後から出げいこ先で直接けいこをつけるなど、かわいがってきた相手について「いいんじゃない?勝って喜んでるだろ。勝負は関係ない」と悔しさを押し殺した。
武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)が「勝ち急いだな」と評した取りこぼし。「まあ、たまたまだな」と強がっていた朝青龍も「立ち合いがよかった。出足もよかった。そこで安心し過ぎた」と素直に反省した。
前日、33歳の千代大海が引退。一夜明け、29歳の朝青龍が23歳の豪栄道に敗れた。世代交代の波を止めるには、黒星を薬にするしかない。
◆まき火 きずな運ぶ◆
外浦の強い海風が吹き付ける、能登半島の最北端にほど近い珠洲市折戸町。一軒家の居間のいろりに、炭火が赤々とおこる。08年暮れに移住してきたカップル、後藤佑介さん(29)と山本美穂さん(30)の家だ。「意外に温かくて。ストーブだとこうはいかないんです」と山本さん。風呂はまきで炊いている。
◇ ◇
◆移住者迎える情と知恵◆
後藤さんは東京都大田区生まれ。都内で輸入バイクを販売する店を営んでいた。富山県小矢部市生まれの山本さんとは共通の友達を通じて知り合い、遠距離恋愛。同居するに当たってネットで捜して見つけ、借りたのがこの家だ。
08年秋に下見に来て、自在カギがあるのを見つけた。いろりはふたをしてあり、付近でも使う家はほとんどない。だが、2人には新鮮に見えた。灯油ボイラーが壊れており、「どうせなら」とインターネットでまきボイラーを買った。まきは、大家のおじいさんと間伐に行ったり、廃材をもらったり。炭の使い方は、近くの炭焼き職人の大野長一郎さん(33)に習った。
「周囲の人たちの生活の知恵に驚かされる」と2人。初めに赤く起こした炭を、夏はほかの炭の下、冬は上に置くと、ぱっと火が広がる。「夏下冬上(かかとうじょう)」というと教わった。近所のお年寄りたちは食べられるキノコを見分け、浜で海草を採って干して売る。
それに、みんな温かい。特産の大豆の豆がらを「持っていかっしー」とたきつけ用に持たされる。畑で取れた野菜をくれる。留守中、郵便受けにサツマイモが1本入っていたこともあった。自分たちでも、野菜を作り始め、「食べてはいける」と2人は笑う。
後藤さんは珠洲市のNPO法人で移住希望者の相談に当たっている。大半の人が「仕事はある?」と心配するという。「でも、若い人が来たといううわさがすぐ広まるので『手伝って』と言われます」。山本さんも珠洲焼の店に半年前から勤めている。
過疎が進む奥能登。珠洲・輪島・穴水・能登の4市町の人口は、05年の国勢調査では20年前の7割に過ぎない。
各市町は空き家のデータベースや転入者への奨励金制度を設ける。珠洲市は県宅地建物取引業協会と協定を結び、家を借りる際の契約などのサポートをしてもらっている。07年度からの定住化促進事業を利用して移り住んだのは8組20人。「実際にはもっと多いでしょう」と担当者は話す。
◇ ◇
木をくべて使うまきストーブが近年、静かな人気だ。27年前から扱うウッドペッカー(金沢市)によると、工事費まで含めて数十万~100万円ほど費用がかかるが「ワンタッチで使える安全なものが増え過ぎて、味気なくなったためでしょうか。手がかかるけれど、温かみを感じる」と池高明社長(45)。
輪島市でも雪深い山間部の三井町に住む山下覚(さとる)さん(37)方は、家の改装に合わせてまきストーブを設置したところ、その前に一家が集まることが増えた。美真瑠(みまる)ちゃん(10)と寛人(ひろと)君(6)が寝転がり、覚さんは炎を見ながらビールを飲む。煮込み料理に重宝するという妻の祐美子さん(35)は「子どもが火の危なさも感じられる。不便だけれど心地良い」。
便利ではないけれど味のあるもの。お金で買うものでなく「持っていかっしー」と交換しあうもの。いろりやまきストーブのような柔らかな温かさが、能登にはある。(角谷陽子)
=終わり
薪(まき)が赤々と燃える昔ながらの大きなかまどで、郷土料理のほうちょう汁や、芋餅を蒸す蒸籠(せいろ)が湯気を上げる。愛南町城辺の農家民宿「のどか」の台所で、にぎやかに料理の腕をふるうのは、宿泊客の農村体験を手伝う地元の女性グループ「おきなぐさ」のメンバー7人。集まったのは、客のためではなく、自分たちの忘年会のためだ。
「農家民宿を始めて本当によかった」。大広間の机に手料理を並べ、お酒抜きでの語らいを何時間も続けながら、民宿を経営する高平玲子さん(56)は、満面の笑みを浮かべた。
玲子さんが、柑橘(かんきつ)の専業農家を営む和豊さん(63)のもとに嫁いできたのは35年前。当時は農村の濃密な近所付き合いがまだ残っていたが、新たに移り住んでくる人も増え、徐々に人間関係は薄くなっていった。忘年会に来ていた近くの梅本ミエ子さん(64)は「お隣同士でもあいさつする程度。家に上がって話をすることはなかった」と振り返る。
そんな希薄な人間関係に玲子さんが寂しさを感じるようになったのは10年程前から。寝たきりの義父の介護などで地域の行事にも参加しづらくなり、外とのかかわりは、メンバーの一人でお隣の松田千束(ちづか)さん(70)と話す程度になっていた。
「人のつながりは宝。田舎の良さを発信しつつ、近所の人と交流を深めたい」
2007年4月、玲子さんは、都市住民が農漁村に滞在する「グリーンツーリズム」に町が乗り出したことに背中を押され、自宅の離れで農家民宿を開業。宿泊客に様々な農村体験をしてもらうために、近所の主婦6人に声をかけて「おきなぐさ」を結成した。
民宿を訪れた家族連れらは、冬は満天の星空にため息をつき、夏は窓を開け放した部屋に蚊帳をつって眠る。おきなぐさのメンバーにこけ玉作りや郷土料理を教わり、五右衛門風呂を自分で沸かしたり、里山を歩いたり。「素朴で懐かしい生活を味わえる」とファンが増えてきた。
一緒に都会の人々をもてなすうちに、玲子さんが望んでいた近所同士の絆(きずな)も徐々に深まってきた。
おきなぐさの会長を務める松岡玉子さん(64)は、「昨年秋、メンバーの自宅の新築祝いをここでやった。なんだかみんなが家族みたい」と話し、梅本さんは「集まって話をするだけでも楽しい」。玲子さんは「ガスコンロを消したかどうか不安になり、松田さんに見に行ってもらったこともあった」と笑う。
のどかは単なる民宿ではなく、地域の仲間が集い、楽しむ場所となった。「外から戻ると、メンバーの誰かが『お帰り』と言ってお茶を出してくれる。そんなふうになれば幸せですね」。玲子さんは、その日が待ち遠しくて仕方ない。(大北恭稔)
(2010年1月12日 読売新聞)
国内最古の温泉の一つとされる山形市の蔵王温泉が今年、開湯1900年を迎えた。8日朝には旅館の経営者や観光協会職員らが伝統行事「洞開(どうかい)」に臨み、源泉に感謝の気持ちをささげた。冷え込みが続く観光業界への起爆剤にしようと、温泉街や観光協会の関係者らは、さまざまな記念イベントの準備を進めている。
蔵王温泉は西暦110年、日本武尊の東征に従った吉備多賀由(きびのたがゆ)により発見されたという伝説が残る。強酸性の泉質で、古くから皮膚病に高い効能があるといわれ、1日約8700トンもの湯量を誇る国内有数の名湯だ。
温泉街に伝わる洞開は、風呂の栓を意味する「洞」を開け、湯を抜いて清掃し、新たな湯をためる行事。蔵王温泉では江戸時代から続いているとされ、正月恒例となっている。
旅館経営者ら約60人が温泉街にある上湯、川原湯、下湯の3カ所の共同浴場を清掃。上湯では開湯1900年を記念して2人の巫女(みこ)が湯をくみ上げ、神事が執り行われた。蔵王温泉旅館組合の伊藤八右衛門組合長は「節目の年なので、今年は特別な年にしたい」と意気込みを語った。
春や夏は新緑を楽しむ観光客、秋は紅葉、冬はスキーや登山客など、年間で約100万人を超える観光客が訪れる。温泉街は100軒以上の旅館やホテル、民宿などが立ち並び、山形県内でも最大規模の温泉地だ。ここ数年はスキーを楽しむ台湾や韓国などからの外国人観光客も増えている。
年間を通した観光客は年々減少。2008年度は約122万6000人で、前年度から約12万人も減っており、観光関係者らは頭を抱えている。
旅館組合や蔵王温泉観光協会は、今年を観光客増加に向けた絶好のチャンスととらえ、春から夏にかけて記念式典や誘客キャンペーンなどを計画している。観光協会の岡崎宏一会長は「不況の影響もあって大変厳しい状況が続いているが、温泉街全体で力を合わせ、蔵王温泉の魅力を発信していきたい」と話している。
2010年01月09日土曜日