11月17日16時39分配信 産経新聞
□ある社会福祉事業団の取り組み
希望を持って介護職についても、夢を失い離職する人が目立っています。最大の理由は労働条件の割に低い給与。しかし、介護現場では給与体系が横並びのことが多く、全員に満足いく給与を保障するのは難しいのが現実です。「足並みを揃えて給与を下げ、中堅層のやる気をそぐよりは…」と、人事考課と成果給を導入した施設もあります。経営の効率性と、職場の魅力は両立するのでしょうか。(清水麻子)
「お風呂は嫌いだけど、あんたがそう言うなら入ってもいいよ」
練馬区社会福祉事業団の特養ホームで介護職として働く近藤和人さん(33)=仮名=が日々の仕事にやりがいを感じるのは、高齢者がこんな信頼を寄せてくれる瞬間だ。「介護職になって13年目ですが、今も仕事への熱意は変わりません」と近藤さんは笑顔をみせる。
今年4月には係長に昇格し、部下の育成も任されるようになった。先日は若い女性職員が高齢者との関係に悩み、転職を考えているのを知ってアドバイスした。彼女が壁を乗り越え、再び仕事への希望を取り戻したときには、大きなやりがいを感じたという。
労働条件や給与も悪くないと思う。勤務は不規則だが、夜勤は月に3、4回ほどで済むし、休みも月に10日取れる。月給は来年4月には5万円以上アップして32万円程度になる予定だ。「ようやく努力が実ったという感じです。これで住宅ローンを払いながら、子供2人の教育費もためられます」と近藤さんはうれしそうだ。
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■なじみ薄い成果給
近藤さんの給与は30代前半の常勤施設職員としては多い方だ。背景には、同事業団が導入した人事考課と成果給がある。
同事業団では、約280人の職員を「主任」「係長」など、7ランクに分類。職員はランク別に「個々の利用者に応じたケア」「後輩の育成」などの目標を立てる。8カ月後の目標達成度によってランクは変動し、賞与と給与が増減する仕組みだ。同じ入職10年程度の職員でも、給与には月10万円弱の差が出る。経験年数は15年までしか反映されないが、昇格試験に合格すればランクは上がる。
人事考課や成果給は民間企業ではめずらしくないが、福祉現場にはなじみが薄い。平成19年の全国社会福祉施設経営者協議会の調査では、人事考課がある法人は4割に満たない。
同事業団が段階的に導入した背景には、区の補助金カットなどで、平成15年から収入が約4億円目減りしたことがあったという。
最大の支出項目は人件費。給与はもともと公務員並みで年功序列。勤続年数の長い人が多く、補助金がカットされては、この先、膨らむ給与に対応できそうになかった。
しかし、給与を下げるだけでは職員もやる気を失うし、基幹職員を引き留められない。同事業団はまず、役員を含む全職員の給与を1割カットし、その年から3年間で約1億8000万円の人件費を削減。21年度からは人件費の4割弱にあたる約8億6000万円分を傾斜配分し、リーダー職員やリーダー候補の給与を引き上げることにした。
同事業団の野田宣博・常務理事は「長く勤めてはいるものの、試験を受けてランクアップを目指さない職員の中には年収が下がる人もいた。申し訳ないとは思う」と、良い面ばかりではないことを認める。現在、職員に人事考課や成果給についてアンケートをしており、結果によっては今後に反映させる予定だ。「限られた収入で組織を動かす人の給与を保障すれば、職場全体のモチベーションも底上げされると判断した。職場には活気が出ており、よかったと感じている」と話している。
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■高い離職率は待遇の不満
特養で働く職員は能力や仕事ぶりが認められても、評価手段がなく、努力が必ずしも待遇に反映されないのが実情だ。
平成19年度の介護労働安定センターの「介護労働実態調査」によると、介護職員らの給与や労働時間への不満は高い。施設職員の離職率は、非正規職員を含め25%と全産業(16%)と比べ高く、特に勤続1年未満の離職は4割超にも達している。
政府・与党は先月、介護報酬を来年度から全体で3%引き上げ、介護職の賃金を底上げする方針を打ち出した。しかし、特養などの施設系サービスで大幅増は難しいと見られ、経営改善が求められそうだ。
人事考課や成果給の導入は限られた収入で職員の仕事ぶりを評価し、離職を防ぐ一つの手段とされるが、一方で慎重な意見も目立つ。東北学院大学の岡田耕一郎教授は「同期で給与に明確な差が生じると、職員間に不協和音が生じる。給与が下がった職員が問題を起こしたり、辞職することもある。人材不足の中で、職員が辞めるのは逆に痛手になる」とし、「人事考課や成果給よりも、手をかけすぎている部分があれば平均程度までサービスの量や質を落とし、浮いた時間を職員の有給休暇にした方が、よっぽど職員の離職を防げる」と指摘する。
社会保障審議会介護報酬分科会の委員で、慶応大学大学院の田中滋教授も「職員の離職を防ぐには、成果給よりキャリアパスの明示と、多彩な教育研修の機会の提供が有効。職員の士気を計画的訓練や配置を通じて昇進に反映させていけば、そうして育ったリーダーをキャリアモデルに頑張ろうとする若い職員も出てくるはずだ」と話す。
田中教授は「どんな手法を導入するかは法人の考え方次第だが、介護報酬とそれ以外のさまざまな収入を組み合わせて原資を求め、職員のモチベーションを上げる工夫を行うべきだ」と指摘している。